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notes on the sand... or a Critique of Cultural Politics. book reviews and columns by Hiroshi Kobayashi. 


人文書ライター小林浩が書いた書評記事、新刊紹介、コラムなどを掲載します。

[ ]内はテキストが書かれた日付あるいは改定日を表しています。刊行前のゲラをもとに書かれた記事もあります。


[2000年10月31日] 『人道援助、そのジレンマ』紹介文。初出:オンライン書店bk1人文サイト。

人道援助、そのジレンマ 「国境なき医師団」の経験から (シリーズ:明日への対話)
ロニー・ブローマン=著、フィリップ・プティ=インタビュアー、高橋武智=訳
産業図書、2000.11、本体1800円、20cm、153p、4-7828-0115-7

●ロニー・ブローマンとは誰か

ロニー・ブローマンは1950年にイェルサレムで生まれ、パリに育ったユダヤ人医師、社会活動家であり、1999年度のノーベル平和賞を受賞した民間団体「国境なき医師団」の前理事長(1982年〜1994年)である。近年では日本でも公開されて話題を呼んだドキュメンタリー映画『スペシャリスト』(ナチスの戦犯アイヒマンに対する国際法廷を撮影した未公開フィルムを再編集再構成したもの)の共同制作者としても知られる。邦訳著書としては、アイヒマン裁判を反面教師に市民的不服従を論じた共著『不服従を讃えて』(『スペシャリスト』の台本が巻末に添えられている)が2000年1月に産業図書から出版されており、本書は2冊目となる。

●「国境なき医師団」とは何か

1972年にフランスで創立された「国境なき医師団(略称MSF)」は、紛争地や難民キャンプなどの災害の現地に赴いて、負傷者、病人、難民らに医療を施したり、食糧などの救援物資を各国から調達したりする、緊急の人道援助を目的とした超国家的なNGO組織であり、ヨーロッパに6カ国の支部と世界15カ国に代表事務所を有している(日本にも事務所が設置されている)。ブローマンはこのMSFへ1978年に加入し、1982年から12年間にわたって理事長を勤めた。現在もパートタイマーとして参加するかたわら、「人道援助活動研究センター」を主宰している。

●本書の概要

本書は1996年にフランスで出版されたブローマンの対談であり、『エヴェヌマン』誌の編集者フィリップ・プティを聞き手として行われた。3部に分かれ、MSFの設立前史からその設立と発展を語る第1部、人道援助の諸原理をめぐって、豊富で具体的な事例を挙げつつその実践理念と限界とに論及した第2部、国家や国際組織によるMSFの政治的利用を拒否し、民衆を基盤に運営の独自性を保ちながら、批判や議論へと開かれた組織の未来像を展望する第3部から成っている。

「国境なき医師団」は、世界大戦期における赤十字のナチスへの消極的荷担を教訓とし、1967年から1970年にかけて勃発したナイジェリアの部族間対立による内戦であるビアフラ戦争をきっかけに誕生した。「緊急性の道徳」として、戦争という名の母から生まれたMSFは、犠牲者をも経済市場や政策手段へ転じる国家悪、戦争悪に対峙し、最小限度の合意に基づくミニマルな道徳と、政治当局への「拒否する倫理」を掲げ、感傷主義を排した厳しいリアリズムのもと、国際的な救援活動に挺身してきた。

決定・行動・批判における国家からの独立性を志向し、時として財政の不均等やイメージ報道によって様々に苦しめられてきた実情を語る一方、ブローマンはMSFにおける変わらぬ倫理的基礎として、犠牲者への「コンパッション(共感共苦)」と「人道援助活動の空間」の2原理があることを説明している。ルソーに由来する「共感共苦」はおおやけの政治によって左右されるものではなく、私的な感情であるからこそ人を動かし、連帯させるものである。「空間」とは3つの自由の可能性を備えた象徴であり、人道援助の基本条件となる。すなわち「自分たちがそのために活動している人々と対話する自由」「現地を回って真に必要とされているものごとが何かを調査する自由」「救援物資の分配の遂行について確認する自由」である。

数々の実績とジレンマをありのままに直視し体験したブローマンが「人生の大学」と呼ぶ人道援助の試練は、グローバル化時代における困難なモラルのあり方をめぐって、広く万民に有益な示唆を与えてやまないだろう。21世紀のための必読図書だ。なお、ブローマンの視点へ更に多元的な側面と新たな議論の背景を与える併読文献として、アマルティア・セン『経済開発と自由』日本経済新聞社、エティエンヌ・バリバール『市民権の哲学』青土社、エマニュエル・トッド『移民の運命』藤原書店を特にお奨めできる。

※本書の著者ブローマンが2000年11月に来日します→関連記事はこちら。



[2000年12月01日] 『滞留』紹介文。初出:オンライン書店bk1人文サイト。

滞留 付:モーリス・ブランショ『私の死の瞬間』(ポイエーシス叢書45)
ジャック・デリダ=著、湯浅博雄=監訳、郷原佳以ほか=共訳
未来社、2000.11、本体2000円、20cm、215p、4-624-93245-5

ブランショ(1907-)による現時点で「最期の作品」である短編『私の死の瞬間』(1994年)と、この短編を題材として1995年に発表されたデリダ(1930-)の講演論文『滞留』を併載した必読の一冊。

『滞留』が単行本化されたのは先行するブランショ論集『パラージュ』(ガリレー社1986年)から数えて実に12年ぶりの1998年だった。旺盛な執筆・講演活動で知られるデリダだが、自著の書名ないし副題に小説家の名前が掲げられているのは、ポンジュとブランショだけであり、わけてもブランショには格別の崇敬の念が捧げられていることは特筆すべきだろう。

デリダはこの短編を一語たりとも漏らさず注釈し、いわばブランショの全作品の論理的母型を見出すとともに、デリダ自身の哲学の礎をも再確認したようだ。難解さを感じる読者はまずブランショの短編を読んだ後、デリダの講演の冒頭を臆せず飛ばして、75頁の読解から読み始めるのもいいかもしれない。

ナチスによる処刑から奇跡的に免れた大戦期の経験を語るブランショの断片的な物語と、死の観念や虚構と証言の相関性などをめぐってじっくり論じているデリダの注釈は、今世紀の文学史におけるもっとも劇的な鏡像を成すと言える。

デリダ、ブランショ両者の思惟にとって中核的な礎石となっている諸概念とその対応関係について、ごく簡単に二点だけ以下に記し、更にその思想的広がりの一端を示唆しておきたい。

デリダの読解に倣えば、死と不死の間、正義と不正との間に不可避的に留まることはブランショ特有の「中性的なもの」という概念でも表される。たとえ本人の記憶であろうとも証言し得ないこの領域は、現実と非現実、顕在と潜在、実際と虚構の対立をはみ出す「亡霊性」を必然的に帯びる。この亡霊性は断じて対立の「中和」ではなく、弁証法の「総合」でもない。後期ブランショの思惟にとって「中性的なもの」がそうであるように、この「亡霊性」がデリダ思想を読み解く上での最重要の鍵概念であることは、東浩紀氏の論考に見られるように、一般的に認知されてきたところだ。

また、デリダは「苦しんでいる人類に対する、したがって死の受苦に対する共苦、これは絆なき絆」であると述べる。ブランショの「友愛」概念について言及するくだりだが、すべての死すべき有限な諸存在との友愛、有限性の分かち合いは、この二人の思想家における政治哲学の倫理的基礎付けにとって決定的な重要性を有している。

ここではジャン-リュック・ナンシー(1940-)の『声の分割』(松籟社1999年)や『無為の共同体』(以文社近刊)などにおける存在論の練磨が、ブランショの『明かしえぬ共同体』(ちくま学芸文庫1997年)と、デリダの『友愛の政治学』(みすず書房より刊行予定)を仲介する参照項になるとも言えるだろうし、ありうべき普遍的共同体を考察した次の二人の思想家の試み、「償いえぬ一回性」を問うたジョルジョ・アガンベン(1942-)の『来たるべき共同体』(インパクト出版会より刊行予定)や、共同体の基礎に他者の死への共感を措いたアルフォンソ・リンギス(1933-)の『共有するものなき者たちの共同体』(インディアナ大学出版1994年)は、議論の幅をよりいっそう広げてくれるだろう。

なお、共苦と訳されたcompassionは近年もっとも注目されてきた西洋の術語であり、類語の「共感 sympathy」をめぐってマックス・シェーラー(1874-1928)は一書を捧げている(『共感の本質と諸形式』1923年)が、大乗仏教においては「同苦」という言葉があり、これが「慈悲」の重要な要素となっていることを補足しておこう(『涅槃経』巻十五、竜樹『大智度論』巻二十、同巻四十、日蓮『開目抄』下、等を参照)。

本講演論文においてデリダは「読者の数だけ読解がある」と語っている。未邦訳論文だがフィリップ・ラクー-ラバルト(1940-)の"Fidelites"(1997)や、ヘント・ド・フリース(1958-)による"Lapsus Absolu"(1998)は、デリダ論文を踏まえた上での独自の『私の死の瞬間』読解を展開しており、特筆に値する。デリダが「賞讃すべき翻訳」と評したペギー・カムフ(1947-)の未刊の『私の死の瞬間』英訳もまた優れた読解であろうし、若手の共同作業によって成ったこの日本語訳も見事な読解であると賞讃の拍手を贈りたい。

参考文献

『アポリア』デリダ著、人文書院
豊崎光一氏に捧げられた1992年の講演録。「私の死」の不可能性をめぐって、ハイデガー哲学の脱構築を模索した、後期デリダの最重要論文のひとつ。

『法の力』デリダ著、法政大学出版局
「脱構築は正義である」との宣言や、ベンヤミン読解を通じた「神的暴力」論は本書に見られる。デリダ政治哲学の転換点を成す基本論文二作を収録。

『シボレート』デリダ著、岩波書店
パウル・ツェラン研究。シボレートとは「合言葉」を意味し、大戦期のナチスはユダヤ人をこの言葉の発音で判別し、人種狩に悪用した。

『存在と時間』上下巻、ハイデガー著、ちくま学芸文庫
二十世紀最大とされる哲学者の主著。「死に向かう存在」など様々な概念を生み出し、後進に絶大な影響を及ぼした。ナチスへの荷担が問題視されている。

『明かしえぬ共同体』ブランショ著、ちくま学芸文庫
1983年に発表された著者最期の政治哲学書。ジャン=リュック・ナンシーの『無為の共同体』(以文社近刊)を糸口に、コミュニズムの再定礎化を試みている。



(c) 2000 Hiroshi Kobayashi

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