Notes on the Sand....or a Critique of Cultural Politics.  by Hiroshi Kobayashi


2001年7月に、bk1「人文レジ前」で取り上げた書目は以下の通りです。※「人文レジ前」は2004年6月で連載を終了いたしました。

[2001年7月2日]

■ヒトラーの側近12名を通じて描く第三帝国の深層。

ヒトラーの共犯者(上下)
グイド・クノップ著 原書房

ヒトラーその人を研究した書籍はあまたあるが、本書のように、総統の側近一人一人に個別に焦点をあてたものはまれな方だろう。著者は、歴史学博士であり、ナチズムやドイツ現代史について様々なテレビ番組を作成し、好評を博してきたジャーナリスト。ゲッベルス、ゲーリング、ヒムラー、ヘス、シュペーア、デーニッツ、アイヒマン、シーラッハ、ボルマン、リッベントロープ、フライスラー、メンゲレ、以上12名の側近にまつわる関係者インタビューや公文書探索を綿密に行い、貴重な証言や新資料を得ている。読み応え十分の戦慄の内幕だ。必読!

※こちらも大注目のノンフィクション新刊→「ヒトラーとスターリン:死の抱擁の瞬間」上下


■東欧の大家が放つ、現代社会への根源的警告の書。

リキッド・モダニティ 液状化する社会
ジークムント・バウマン著 大月書店 3800円 4-272-43057-2

Z・バウマンは1925年生まれのポーランド系ユダヤ人であり、イギリスを拠点に活躍している社会学の重鎮である。グローバル化時代のポストモダン社会を批判的に分析した数多くの著書によって欧米では広く知られる。日本では『社会学の考え方』(1993年、HBJ出版局、絶版)や『立法者と解釈者』(1995年、昭和堂)の2点が単独著では翻訳されているが、今回の本書は2000年に原書が刊行されたばかりの、バウマンのポストモダン社会批判の最新局面とでもいうべき新刊だ。解放、個人、時間/空間、仕事、共同体の五つの章立ては、いずれも現代人の日常生活の諸相を鋭く分析したもので、極めて具体的な示唆に富む。今の「よのなか」に不信感と違和感を持っているすべての読者にオススメだ。

※バウマン既刊書は→こちら
※キーワードで関連書を検索→「ポストモダン」「ポストモダニズム」


■政治哲学における男性至上主義を乗り越える果敢な試み。

ハンナ・アーレントとフェミニズム フェミニストはアーレントをどう理解したか 
ボニー・ホーニッグ編 未来社 3200円 4-624-01157-0

フェミニズムにおけるアーレント問題とは何か。『全体主義の起源』『人間の条件』をはじめとした数々の画期的研究書において、ジェンダーへの問いがいかに「回避」されてきたか、こんにちでは実り豊かな多くの議論を読むことができる。アーレント死後20周年を記念して刊行された本書はその格好の論集だ。ボニー・ホーニッグ、メアリー・ディーツ、ハンナ・フェニケル・ピトキン、セイラ・ベンハビブ、モーリス・カプラン、リサ・ディッシュら、気鋭の若手研究者がアーレント再読解・再評価に取り組んでいる。1995年刊の原著は十三編の論文を収めるが、本訳書ではその中から六編を精選し、編者のホーニッグによる「日本の読者の皆さんへ」「日本語版序文」が追加された。訳者による未収録論文の解説もあり、親切。

※関連書はこちら→「アーレント」「アレント」


■シュタイナー・ブームは終わらない。待望の新訳単行本。

星と人間 精神科学と天体
シュタイナー著 風濤社 1900円 4-89219-204-X

若きゲーテ学者として出発し、人智学/神智学の数多くの著作を世に問い、傑出した教育者としても活躍した稀有の巨人ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)。本書は、マクロコスモスとしての天体の運行と、ミクロコスモスとしての人間がいかなる影響関係にあるかを解説したもので、拠点であるスイスのドルナッハでの講義や各地で発表した論文などの九篇から成っている。十二星座がもたらす様々な力、広くは人類史に与えてきた運命や、個別には個人の身体や生活に及ぼす影響を明らかにしている。占星術に興味のある読者にもオススメ。

※シュタイナー既刊書は→こちら


■古典に親しもう。アリストテレス最重要書の新訳。

魂について 
アリストテレス著 京都大学学術出版会 3200円 4-87698-127-2

万学の祖といわれる古代ギリシャ最大の思想家アリストレテスの著書のうち、もっとも後世への影響力があり、様々な解釈と議論を生んだ問題作の最新訳。これまで「霊魂論」「デ・アニマ」「心とは何か」と多様に翻訳されてきているが、原語のプシュケとは、たましいでもあり、こころでもある。中世神学から現代哲学まで幅広く応用されてきたその射程は、感覚と意識、精神と表象をめぐって練磨された思惟の原点として、再評価され続けている。読書人なら一度はひもときたい名著だ。

※「西洋古典叢書」の既刊は→こちら(キーワード検索)


■「大乗」運動の本質とは何か。碩学による入魂の一冊。

大乗とは何か 
三枝充悳著 法蔵館 3800円 4-8318-5605-3

著者は本邦における仏教学の最高峰の一角を成す研究者。1980年代に雑誌や紀要、論文集などに発表されてきた12の論考が修訂され、ここに新たな一冊となった。「大乗諸仏と私」「大乗の展開」「大乗の諸相」の三部に分かれ、経典とは何か、ほとけとは何かをやさしく解説。般若経の成立とその「空」の思想に迫り、大乗仏教の枢軸としての「ボサツ」を詳しく検証している。弧絶した悟達に引きこもるのではなく、すべての生命への慈しみに開かれた、大乗運動のインパクトが新鮮に読める。

※ものすごい辞典が出たぞ→「日本の神仏の辞典」大島建彦ほか編、大修館書店刊、本体25000円、4-469-01268-8

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[2001年7月9日]

◆私たちは本当に自由なのか? 若手思想家の第一論文集

自由論 現在性の系譜学
酒井隆史著 青土社 2800円 4-7917-5898-6

現代社会は自由の名のもとに市民をどのように包摂し、統治しているか。著者は1965年生まれの社会学者・社会思想家であり、早大で教鞭をとるほか、思想誌、文芸誌、音楽誌などで健筆を揮っている注目の若手。本書は90年代後半に『現代思想』および『思想』誌で発表された6つの論文をまとめ、加筆訂正したもので、著者初の単行本である。ミシェル・フーコーを導きの糸としながら、いまや世界を蔽いつつあるネオリベラリズム(それは本質的には「自由の終焉」なのだろうか)の実像に鋭く切り込み、いかに抵抗すべきかを探った理論的実践だ。著者が論文執筆に払った労力の分、読み手としての相応の努力が要請されるという意味でも、容易ならざる挑戦的な書物と言えよう。

※「ネオリベラリズム」って何だ?→こちら[キーワード「新自由主義」でリンク]


◆絶滅収容所の運営実態を詳細にたどった名著の完訳

SS国家 ドイツ強制収容所のシステム
E.コーゴン著 ミネルヴァ書房 6500円 4-623-03320-1

前世紀ドイツの優れた政治学・社会学者であり、ナチスの強制収容所の体験者でもあるオイゲン・コーゴン(1903-1987)については日本の一般読者はほとんど知らないかもしれないし、読む者を深く震撼させずにはおかないその画期的主著である本書(原著初版1946年刊)において徹底して緻密に記述された、収容所システム(創設の歴史とその運営実態、被害者たちの様々な受難、加害者と被害者双方の心理的側面に至るまで)の実態についても知らないかもしれない。知らないということは恐ろしいし、知ったかぶりはもっと恐ろしい。とんでもない憶測や事実誤認を許容するばかりか、歴史を捻じ曲げる端緒にすらなる。掛け値なしに、これは歴史修正主義者すべてへの直撃弾である。

本書はドイツ本国では74年に再刊されて以後、すでに約50万部が世に出ているという。著者が戦後直後に記した「ドイツは過去を振り返り、再び自己を認識してほしい。歪められひきつった容貌が再びその均衡のとれた相貌を取り戻すことができるようになってほしい。みずからを誠実に断罪できれば、もうその裁き手を恐れる必要がない」という言葉は、当時どれほど切実で誠実な発言だったか。学ぶべきことはいまなお多い。邦訳者と出版社の見識に深く感謝したい。

※「強制収容所」を学び直す→こちら[キーワード「強制収容所」と著者「リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー」でリンク]

※話題の関連新刊書:旧ソ連における収容所の原点は極寒の島にたたずむ修道院にあった→「聖地ソロフキの悲劇」内田義雄著、日本放送出版協会


◆インドにおける階級差別の根源とは? 社会人類学の名著

ホモ・ヒエラルキクス カースト体系とその意味
ルイ・デュモン著 みすず書房 12000円 4-622-03847-1

デュモン(1911-1998)は20世紀フランスを代表する人類学者で、本書は単行本としては4番目の邦訳となる。著者畢生の大著の待望の邦訳である(底本は1980年の改訂英語版で、1979年のフランス語初版を参照している)。西洋的な個人主義的理念としての「平等的人間」原理からはとらえきれない、インド特有の宗教的な「階層的人間(ホモ・ヒエラルキクス)」観を内在的に研究し、カースト制度がこの国において「必然的な体系」として発現している現実社会の具体的諸相を周到に分析している。さらに弱体化する階級社会を論じ、他方、ヒエラルキーの原理と西洋近代の平等主義的イデオロギーの比較を通じて、より潜在的に発現している西洋の差別主義を指摘した。

※「カースト制度」を考える→こちら (キーワード検索)


◆音楽演奏の哲学的次元を開示する稀有な書物

リスト ヴィルトゥオーゾの冒険
ウラディミール・ジャンケレヴィッチ著 春秋社 2500円 4-393-93148-3

ジャンケレヴィッチ(1903-1985)はロシア人の両親のもとに生まれ、フランスで活躍した哲学者。その著書の多くが邦訳されているが、大きく分けるとテーマは倫理学と音楽哲学に分かれる。自身もピアノ演奏を終生好んだ。本書はリスト研究というよりは、彼に代表される19世紀ロマン派が追究した演奏技法の美的究極について、哲学的に考察した驚嘆すべき書物である。キーワードとなる「ヴィルトゥオジテ」とは超絶的な演奏を指す「名人芸」のこと。それは人間が一人でなしうる極限である。俳優ジェラール・フィリップの妻アンヌによる紹介文が巻頭に付されているが、これはもっとも美しいジャンケレヴィッチ論といえるだろう。

※ジャンケレヴィッチの既訳書は→こちら(キーワード検索)


◆アリストテレスの高弟の「幻の著」が甦る

アリストクセノス『ハルモニア原論』の研究
山本建郎著 東海大学出版会 6400円 4-486-01535-5

これは大変な力作だ。古代ギリシア哲学において「ハルモニア(=和声・調和)」の問題はピュタゴラス、プラトン、アリストテレスら大哲学者にとって大きなテーマだったが、これまで日本人が手に取れる研究書は少なかった。本書はアリストテレスと同時代を生きた哲学者の音楽理論の書「ハルモニア原論」を本邦初訳し、その詳細な注釈、歴史的思想史的背景の研究、著者の生涯と思想の解説を付したもの。著者多年の労苦がすべてのページににじみ出ている。後世のプトレマイオスやケプラーの天文学的な調和論に先駆ける業績というよりは、アリストクセノスの音階論的な調和論はそれ自体が特異な哲学の結晶である。無視できない画期的な古典研究の誕生だ。

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[2001年7月16日]

■中国4000年の思想的蓄積を通史的に概観できる、読む事典

中国思想文化事典
溝口雄三編 東京大学出版会 6800円 4-13-010087-4

「中国」と一口に言っても、民族的・文化的に多様で多元的な文明圏であり、その地理と歴史は広大だ。本書はその広大な文化的枠組みを総覧できる非常に便利な「読む事典」である。これまでの事典というと細分化された項目によって全体像がつかみづらいという難点があったが、本書はもっとも中核的な66の思想概念について通史的に記述することにより、把握すべき知的地層がより明瞭に連続的に読み取れるようになったという点で画期的である。66のキーワードは6つの分野(宇宙・人倫、政治社会、宗教・民族、学問、芸術、科学)に整理され、索引も充実。75名にのぼる執筆陣の10年にわたる合同作業の賜物だ。必携。

※ためになる事典類、注目新刊は↓
「世界史アトラス」「新修広辞典 和英併用」「ことばの認知科学事典」「書道故事成語辞典」「朝日キーワード別冊-経済」「古典文学の旅の事典」「〈図説〉ヒエログリフ事典」「イギリス植物民俗事典」

「世界史アトラス」集英社4-08-781218-9、
「新修広辞典 和英併用」集英社4-08-400008-6、
「ことばの認知科学事典」大修館書店4-469-01269-6、
「書道故事成語辞典」大修館書店4-469-01267-X、
「朝日キーワード別冊-経済」朝日新聞社4-02-227611-8、
「古典文学の旅の事典」東京堂出版4-490-10575-4、
「〈図説〉ヒエログリフ事典」創元社4-422-20231-6
「イギリス植物民俗事典」八坂書房4-89694-475-5


■犯罪の低年齢化。その社会現象の実像を鋭く分析

「脱社会化」と少年犯罪
宮台真司ほか著 創出版 800円 4-924718-42-4

少年犯罪の凶悪化という実態に私たちはいかに向き合うべきか。著者は犯人の動機分析や、精神的障害を確定することは無意味であり、殺人を倫理的に誡めることも無力だと指摘する。他人とのコミュニケーションに意味を見出さない「脱社会的存在」が近年増大しており、それは少年法の重罰化では回避できない問題である、と。価値観を一元化する「日本的学校化」を廃棄し、いかにして多元的な社会的教育プログラムを立ち上げるかをコンパクトに論じた宮台氏の講演録に、ノンフィクションライターの藤井誠二氏との対論を付した、読みやすい小篇。

※「少年犯罪」問題の関連書籍は→こちら(キーワード検索)


■哲学と建築を結ぶANY会議、注目の最新刊テーマは「時間」

Anytime 時間の諸問題
磯崎新ほか監修 NTT出版 4000円 4-7571-0050-7

ANY会議は1991年から2000年にかけて毎年世界各国を転々としてきた国際会議であり、建築家と思想家の第一線のエキスパートたちが様々なテーマのもと、生産的な意見交換を重ねてきた実り多き場だ。本書は1998年にトルコのアンカラで3日間行われた第8回ANY会議「Anytime」のテキスト版である。今回の会議のテーマは「時間」。コールハースやアイゼンマン、チュミら常連の建築家をはじめとして、日本では今まであまり知られていなかった中東圏の建築家が多く参加し、磯崎新や浅田彰、サスキア・サッセンやフレドリック・ジェイムソンなど、世界各国の思想家とともに「建築(および建築理論)における時間性」の諸問題を多角的に論じている。続刊の会議録は残すところ「Anymore(1999)」「Anything(2000)」の2点となった。

※Anyシリーズ、既刊書は→こちら(キーワード検索)


■ユダヤ人大虐殺にユダヤ教徒が荷担? 悲劇の真相に迫る 

ファシズム時代のシオニズム
レニ・ブレンナー著 法政大学出版局 4800円 4-588-00705-X

切迫した紛争が絶えなかったイスラエル=パレスチナ問題の淵源には、ナチズムによるユダヤ人大虐殺以後に否応なくクローズアップされた、ユダヤ人国家建設運動(シオニズム)への国際世論の憐憫的賛同があったとされる。本書は19世紀末より苛酷になってきた反セム主義(反ユダヤ主義)がホロコーストにより頂点と極めるのと並行して、シオニズムの人種的選民思想がしばしばユダヤ人差別容認の方向に働いてしまった歴史的悲劇を、真正面から捉えようとしている労作である。ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、公民権運動に深くかかわってきた著者によれば、イスラエル=パレスチナ問題は、ユダヤ人とアラブ人の進歩派が一体となってシオニズムというイデオロギーを廃棄しなければ、解決できないという。シオニズムとファシズムの知られざる共犯に迫る綿密な歴史研究書。

※関連書をチェック→「シオニズム」「イスラエル=パレスチナ問題」
※ユダヤ人大虐殺問題をめぐる関連新刊書→証言「第三帝国」のユダヤ人迫害
ゲルハルト・シェーンベルナー編; 柏書房; 3800円; 4-7601-2093-9


■NATO軍とマスコミに翻弄されるユーゴ紛争の悲劇を活写

空爆下のユーゴスラビアで 涙の下から問いかける
ペーター・ハントケ著 同学社 1500円 4-8102-0214-3

1999年春、民族紛争の鎮圧のためにNATO軍がコソボを空爆した時、国際世論やマスコミ報道は、圧倒的なNATO支持を示し、セルビア人勢力の非道さを糾弾した。しかしここに、自らの実地見聞に基づいて、空爆に敢然と反対した作家がいる。オーストリア生まれのハントケ(1942-)はヴェンダースの映画「ベルリン・天使の詩」の脚本家としても知られる、現代ドイツを代表する作家。彼は空爆下の旧ユーゴスラビア諸国を訪問し、紛争の日常をありのままに描いた。テレビには映し出されない真実を描いたことに対して、ハントケ自身は歪んだ世論から痛烈なバッシングを浴びた。

紛争の実情を知らない日本人でも、2001年7月にJリーグを引退したサッカー選手ドラガン・ストイコビッチが、かつて試合途中で「NATO軍は空爆を止めよ」と自筆したアンダーシャツをアピールしたのを、テレビで見たことがあるかもしれない。私たちのほとんどはただ漫然と見ているしかなかった。ゴール・アシストを決めた彼にテレビカメラが寄った時、それは映し出された。あの真剣な面差しに秘められた真実を、私たち日本人もこのハントケのドキュメントを通じて理解できるだろう。戦争はすぐそこにあったのだ。

※関連書をチェック→「コソヴォ」「サラエヴォ」「ボスニア」「ユーゴスラヴィア」「バルカン」[それぞれ「書名」で検索]

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[2001年7月23日]

■生涯を海上で生活する民族の不思議な生活誌

漂海民バジャウの物語 人類学者が暮らしたフィリピン・スールー諸島
H.アルロ・ニモ著; 現代書館; 2800円; 4-7684-6800-4

テレビ番組で特集され話題を呼んだ、海に生きる民「バジャウ」。フィリピン最南部のスールー諸島に点在する集落で暮らす人々は、漁労を日々の糧としながら、生涯のほとんどを波の穏やかな珊瑚の海上の「家舟(えぶね)」や杭上家屋で過ごす。著者は1960年代にこの漂海民の生活を数年間フィールドワークし、いくつかの研究書をものにしている、初めての人類学者だ。本書はスールー諸島で出会ったバジャウの民や風俗、豊かな自然について紀行文学風にまとめたもの。体験した事実に基づきつつ、人名や内容はフィクション的に再構成されており、読みやすい。エメラルド色の南海に息づく民衆文化の明暗を追う筆致は読者を飽きさせない。

※関連書をさがす→「スールー諸島」「海洋民族」


■異貌の出版史、ペヨトル工房の20年が面白い

ペヨトル興亡史
今野裕一ほか著、冬弓舎、2000円、4-925220-04-7

1979年から雑誌「夜想」をはじめ、文芸と現代アートの紹介において特異な活動を20年間続けてきたペヨトル工房が2000年4月に解散した。本書は、工房主宰の今野裕一氏やミルキィ・イソベ氏をはじめとする個性的なスタッフが明かす、創業から解散までの様々なエピソードを、刊行物の年表および書影付きで満載したユニークな一冊。さらに、解散する折の経過を日記的に公開し、新刊書店や古書店、執筆者や読者がいかに解散後を「サポート」してきたかも紹介。こんにち増えている「出版業界本」の議論とは異なり、赤裸々でリアルな体験談に触れることができる。ペヨトル工房を知る知らないに限らず、ふだん読者の目には触れない業界の内幕は多くの人々の関心を引くだろう。感心・驚愕・感動の、なまドキュメント。

※ほかでは手に入らないbk1特設「ペヨトル工房」書棚は→こちら(キーワード検索)


■ガタリ最晩年の思想と人物像を伝える貴重な一冊

フェリックス・ガタリの思想圏
ガタリほか著、大村書店、2200円、4-7563-2027-9

精神分析の厳密な学的伝統を前世紀においてもっとも大胆かつ果敢に解体したフランスの思想家ガタリ(1930-1992)。本書は、91年92年に収録された4つのインタビューと、生前最後の語り下ろしとなった独創的な都市論を収録し、さらにガタリの人となりを明かす、ドゥルーズやグリッサン、シェレールら8名の弔辞と証言をまとめた、必読の一冊。これまでいくつものガタリの訳書や関連書を手際よくまとめてきた杉村昌昭氏の編訳による。氏の積極的な活躍により、フランスはもとより海外にはない日本独自のアンソロジーが、本書をはじめとして次々と生み出されてきた。ガタリの全方位的な活動と概念装置は、今なお世界各国に新しい波紋を呼んでいるのだ。


■旧石器時代芸術に見る、人類の壮大な心象風景

洞窟へ 心とイメージのアルケオロジー
港千尋著; せりか書房; 3000円; 4-7967-0233-4

身体表象論、記憶映像論において卓越したエッセイの数々を発表してきた、新世代の論客による最新書き下ろし。本文に掲載され、カバーを飾る写真は例によってすべて著者自身による撮影である。西ヨーロッパの海底洞窟で発見された、数万年前の旧石器時代に描かれた壁画をきっかけに、芸術の起源となるもろもろの「痕跡」の記号化を探索。動物など線画や「手の影」のペイントの生成過程を推理し、認知科学や知覚論を援用つつ、現代人と原始的人類に通底する心的イメージの原風景をかたちづくる、潜在的創造力への考察に読者をいざなう。先史学者ルロワ=グーランによる「手の影」研究である、論文「カルガスの手」の邦訳を併載。魅力的な一冊だ。

※関連書をさがす→「認知考古学」「先史時代」


■美術界の最前線をゆく造形作家/批評家の画期的第一論文集

ルネサンス経験の条件
岡崎乾二郎著; 筑摩書房; 4900円; 4-480-87327-9

近年これほどまでに単行本化を待たれた美術批評家も珍しいだろう。著者は1955年生まれの造形作家であり、美術界きっての論客として嘱望されている一人。本書は「経験の条件」の題名のもとに1995年から2000年にかけて、三年間の休止期間を挟みながら雑誌『批評空間』に不定期連載されてきた論考に加筆し、一冊にまとめたもの。マティス晩年の礼拝堂設計制作から語り起こし、ルネサンス以後の美術史パラダイムの根源的解体と再構築を目論んだ野心作である。圧巻はイタリア・ルネサンス期の建築家ブルネレスキが設計したブランカッチ礼拝堂の祭壇壁画として描かれた、「聖ペテロ伝」を主題にした、画家マサッチオらの連作をめぐる緻密な解析である。第五章「多声と記譜」で試みられた、壁画の画像どうしの重ね合わせによる「透視図法」の分析はスリルに満ち溢れた驚くべき発見である。巻末に92年に発表されたフェルメール論「信仰のアレゴリー」も併載。

※関連書をさがす→「ルネサンス美術」「美術批評」

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[2001年7月29日]

■注目のクレオール系知識人による黒人とダンスの歴史学

ニグロ、ダンス、抵抗 17〜19世紀カリブ海地域奴隷制史
ガブリエル・アンチオープ著; 人文書院; 2700円; 4-409-03062-0

カリブ海域における近代の奴隷制植民地社会において「ニグロ」と蔑称された人々は、白人による抑圧的支配と弾圧・虐殺の中でどのように生きたか。「ニグロ」たちのダンスは単なる娯楽風俗ではなく、理不尽な人種差別への抵抗であり、統制からの自立的逃亡のあらわれだった。邦訳単行本が刊行されるのは今回がはじめてとなる著者は、1947年マルティニク島に生まれ、パリのブローデルのもとで学んだ歴史学者。専門とするカリブ海域史は、とりもなおさず英仏をはじめとする西欧近代の帝国史の一面でもある。帝国史観への従属に抵抗し挑戦する鮮烈なる史学は、日本の読者にも大きな感銘を与えずにはおかないだろう。

※マルティニク島出身の著名作家たち→セゼール、グリッサン、シャモワゾー、コンフィアン
※その他のカリブ海域の著名知識人→ジェイムズ、ナイポール、ウィリアムズ、ホール
※関連書を探す→「カリブ海」「クレオール」「黒人奴隷」


■30の事例を通して環境問題を考え直す好著

地球環境読本 人間と地球の未来を考えるための30のヒント 
加藤尚武編; 丸善; 1700円; 4-621-04900-3

環境汚染・環境破壊が地球規模できわめて深刻化しているにもかかわらず、現代人はその実情をほとんど知らないのではないだろうか。私たちはこの地上で生き残れるのだろうか。世界人口は増えるばかりだが、絶滅していく動物も増えている。科学技術は発展するが、人為的災害の悪化もすさまじい。日本や各国で起きている環境問題の30事例をそれぞれ端的に要約し、学校や会社、地域などの教材として活用できる、きわめて有益なテキストが出版された。事態の明瞭な把握と具体的アプローチによって「無関心」を乗り越えるならば、環境問題はむずかしくも不可解でもなくなるだろう。

※環境問題を考える上で要チェックの新刊関連書↓
エコロジー人間学 ホモ・エコロギクス--共-生の人間像を描く
エックハルト・マインベルク著; 新評論; 3200円; 4-7948-0524-1

循環型社会白書 平成13年版 循環型社会の夜明け
環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部循環型社会推進室編集; ぎょうせい; 1619円; 4-324-06621-3

価値観と科学/技術
加藤尚武著; 岩波書店; 2000円; 4-00-026634-9

IT汚染
吉田文和著、岩波新書、740円、ISBN4-00-430741-4


■気鋭の宗教学者が雌伏の時を経てついに放つ大長編論文

オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか 
島田裕巳著 トランスビュー 3800円 4-901510-00-2

前世紀末に一連の凶悪事件を起こしたオウム真理教の「身内的学者」であるとの報道冤罪により、大学を辞した宗教学教授が、教団と接してきた体験と当時の社会状況の分析をもとに、満を持して1300枚を書き下ろした長編のオウム論考。カルト的テロリズムの発展を教義面と実践面から解明し、メディアや知識人たちによるオウム観の不備と盲点を突く。オウム事件の深層構造は、日本の組織社会的病理に起因すると指摘、宗教の世俗化と共同体の再構築を歴史的に概観しつつ、オウム的なものの再生を警告し、その危険への抵抗を模索した好編。

※関連書を探す→「オウム真理教」「カルト」「宗教学入門」


■「こころ」に焦点をあてた当意即妙の若者論

若者のすべて ひきこもり系VSじぶん探し系 
斎藤環著 PHPエディターズ・グループ PHP研究所(発売) 1400円 4-569-61718-2

浅田彰や村上龍は「じぶん探し系」で、東浩紀や村上春樹は「ひきこもり系」? 『戦闘美少女の精神分析』をはじめ、新世代の感性で読者をひきつけている現役精神分析医が、1999-2000年に雑誌『広告』での好評連載に加筆。現代社会を斬る軽妙な精神分析エッセイや対談、渋谷や原宿、池袋などで出会った若者や「自傷系」の若者の肉声をありのままに収録した。中井久夫の軽妙な読解や納得の文化人チャートなど、アカデミックな閉域を脱しており、親しみやすいだろう。著者特有の「コンテクスト・レイヤー仮説」の出発点をなす、自由闊達なノート群だ。

※関連書をさがす→「ひきこもり」「じぶん探し」

※日常に忍び寄るこんな家庭問題↓
ドメスティック・バイオレンス 愛が暴力に変わるとき
森田ゆり著; 小学館; 1500円; 4-09-387345-3


■20世紀初頭のロシアでの芸術革命運動の全貌

ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命 
ヴィーリ・ミリマノフ著 未来社 2400円 4-624-71082-7

前世紀の黎明期ロシアに次々と花開いた新しいアートのうねりと政治改革の流れは、この百年の中でもっとも実り多き創造性が発揮された歴史的事件であり、アヴァンギャルドや革命から遠く離れたこんにちの私たちの郷愁をかきたててやまない。各国の美術界と思想界に大きな影響力を及ぼしたシュプレマティズムや構成主義、革命的ユートピア主義、社会的リアリズムの奔流を世界史的に丁寧に跡づけ、旧ソビエト時代には外国人が知りえなかった全体像を呈示した本書は、このテーマについてのもっとも明瞭で簡潔に整った基本的紹介となっている。訳者による懇切な補論や美術家人名録、巻末のカラー図版百点もうれしい。戸田ツトム氏の美しい装丁は、桑野教授による達意の翻訳の読み心地よさとあいまって、本書の魅力をいっそう引き立てた。買って損はない幸福な一冊。

※関連書をさがす→「ロシア・アヴァンギャルド芸術」「シュプレマティズム」「構成主義」「社会主義的リアリズム」

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美学のキーワード 
W.ヘンクマンほか編 勁草書房 本体4000円 4-326-15355-5


■「日本帝国」を凝視する文学者のまなざしを解剖する

「帝国」の文学 戦争と「大逆」の間
スガ(糸へんに圭)秀実著; 以文社; 3200円; 4-7531-0216-5

ほとんど解体したか拡散しているように見えるこんにちの日本の文壇は、エンタテイメント以外に生き残る道はないかのようだが、文学を消費される娯楽としてではなく、国民から沸き起こるひとつの大いなる自己肯定や、やみがたい異議申し立てのエートスとして捉えるなら、そこにはのっぴきならない政治性や弧絶した無意識的欲動のうずまきが見て取れるはずだ。本書は著名な文芸評論家による20世紀文学における国民作家と国家との、ある時は明白である時はひそやかな緊張関係を洗い出したスリリングな力作である。日本帝国という怪物と文学者たちはいかに対峙してきたか。

藤村、花袋、泡鳴、荷風、秋声、啄木、鴎外、秋水、管野すが子らをめぐって近代的国民の心性のありかと日本自然主義、大逆事件と文学を論じた第一章〜第六賞は雑誌『批評空間』第二期に連載され、漱石と天皇制を論じた第七章は『文学界』に発表されたもので、それぞれ加筆訂正がなされている。それらを挟み込むプロローグとエピローグは書き下ろしであり、本書は掉尾を飾る中上健次論へと収斂するものとして、中上に捧げられている。1910年に明治天皇暗殺未遂事件として摘発された「大逆事件」というリミットを通じて日本近代文学総体の批判を試みた本書は、巻末にまとめられた興味深い注を読み飛ばすことなく、再読三読したい。

※注目の「帝国論」関連書↓
可視化された帝国 近代日本の行幸啓
原武史著 みすず書房 3200円 4-622-03385-2

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