◆Notes on the Sand....or a Critique of Cultural Politics. by Hiroshi Kobayashi
2001年11月に、bk1「人文レジ前」で取り上げた書目は以下の通りです。※「人文レジ前」は2004年6月で連載を終了いたしました。
[2001年11月5日]
■「役立たず」の素晴らしさを考えてみよう
不毛論 役に立つことのみじめさ
沢野雅樹著; 青土社; 2600円; 4-7917-5922-2
なんなのだ、この装丁は。カヴァーいっぱいに「毛」の文字が。そしてサブタイトルに至っては転倒している。近年まれに見るインパクトだ。即物的で、どこかエロティック。装丁家の菊地信義氏の仕掛けにまずしてやられる。ページをめくればそこでは「役立たず」が礼賛され、「有用性」の空虚さが糾弾されている。恐るべき快活さと等身大のユートピア。ブコウスキーからバタイユ、庵野秀明から吉田戦車まで、11名の作家たちの作品を分析する。テキストにせよ人間にせよ、何であれそれが「ある(存在する)」ということは、それが役に立つかどうかとか、意味があるかどうかということとは無関係であると、宣言した。悩ましさと馬鹿馬鹿しさが、凝り固まった常識や権威を転覆させる。ソーカルの『知の欺瞞』(岩波書店)の問題圏とは対極的に、レトリックを言葉の欺瞞ではなく変容の力なのだとする論点が示唆的だ。
※問題意識が重なる関連書→『だめ連宣言!』作品社、ドゥルーズ『消尽したもの』白水社、バタイユ『無神学大全』全三冊=『内的体験』現代思潮新社/平凡社ライブラリー、『有罪者』現代思潮新社、『ニーチェについて』現代思潮新社
■著者21歳(!)時の幻の映画評も含む、映画狂人の軌跡
映画狂人シネマ事典
蓮実重彦著; 河出書房新社; 2000円; 4-309-26498-0
反則技かもしれないが、まずこの本は後から読み始めるといい。初出一覧を見れば、1957年から1990年代までの様々な映画評が収録されていることがわかる。続いて、本書で取り上げられている映画の題名が一覧になった索引を眺めて、気になるページから先に盗み読む。そして収録作の最後にある「映画狂人自筆年譜」を追って、庶民とは違う半生に毒づいてみる。そこからはどこを読もうが自由だろう。アタマに戻って「映画小事典」と「越境の映画史事典」を楽しみ、映画評論誌『リュミエール』の巻頭のことばと編集後記をひとつひとつ確かめる。まだまだコンテンツはある。「映画狂人」シリーズは本書が第六弾になるが、シネアストが喜ぶのは情報が細かいこの一冊ではなかろうか。
※「映画狂人」シリーズ既刊書は→こちら[シリーズ既刊はすべて河出から、『映画狂人日記』『映画狂人、神出鬼没』『帰ってきた映画狂人』『映画狂人、語る。』『映画狂人、小津の余白に』]
■待ちに待ったデリダ論集で、デリダ以後の知的海図が見える
デリダと肯定の思考
カトリーヌ・マラブー編 未来社 ISBN:4-624-93247-1 \4,800
フランスの代表的な哲学誌「ルヴュ・フィロゾフィック」が1990年に、ジャック・デリダをめぐる特集を組んだ。編集はデリダの弟子筋にあたる哲学者のカトリーヌ・マラブーによる。フランス、アメリカ、イタリア、ベルギーなどから第一線の研究者や書き手が16篇の論文を寄せており、デリダ自身も「エクリチュールの試み」という一文を書いている。圧巻であり、贅沢である。本書の特徴は、難解をもって鳴るデリダ思想を様々な角度から読み解くその巧みさだけにあるのではなく、それぞれの論文から「デリダ以後」の知的海図が垣間見えてくるというところにもある。特に編者のマラブーによるデリダ=マルクス論やスティグレールの知覚論的読解は注目したい。大陸派と一線を画しているアメリカ現象学派の代表的論客であるクレールやサリスらの論考が収録されているのも、特筆に値する。デリダを研究する場合に避けて通れない基本書だろう。
※デリダ研究さまざま→こちら
■「神の死」以後、哲学にいかなる課題が残されているのか
神的な様々の場
ジャン=リュック・ナンシー著; 松籟社; 2900円; 4-87984-218-4
争点は「神」である。永遠に続くかと思われる論争の原点だ。『無為の共同体』でデリダ以後の世代に大きな知的インパクトを与えたナンシーが1997年に刊行した本書は、もともと1987年に単独で刊行された表題作と、併録された論文「詩人の計算」から成る小書だった。今回の邦訳版では著者の意向により1998年の口述論文「キリスト教の脱構築」が追加され、さらに訳者からの提案で、1989年に発表された架空の往復書簡も収録された。「存在はいかなる仕方でも神ではない」と著者が言う時、そこにはハイデガーの存在神学の乗り越えが企図されている。神が存在するかしないかが問題なのではない。神の不在の前に投げ出され剥き出しになった人間たちが「分割されつつも共にある」という、共同性=共同体が問われるのだ。有限なる存在者が他なる主体と出会う場とは何か。ナンシーの思想はいわゆる宗教哲学ではないが、その射程は宗教間の文化的軋轢を考える上でも有効なのではないかと思う。
※併読をお奨めしたいのは→「主体の後に誰が来るのか?」現代企画室
■カトリックを代表する修道会の連綿たる学統を一冊に集約
中世思想原典集成 12 フランシスコ会学派
上智大学中世思想研究所編訳・監修 平凡社 10000円
4-582-73422-7
近年まれに見る、ほとんど奇跡の成果と言っていい一大シリーズ「中世思想原典集成」全20巻の第18回配本は、ドミニコ会と並ぶカトリック系修道院の双璧を成すフランシスコ会の神学者たちの著作を一巻にまとめた大冊だ。アッシジのフランチェスコに始まり、ボナヴェントゥラ、ロジャー・ベイコンなど11人の18作が収められている。清貧の人フランチェスコによる感動的な「遺言」も収載。学派の一員ではないが、巻頭に置かれているのは、終末論と来たるべき「聖霊の時代」を語ったフィオーレのヨアキムによる『新約と旧約の調和の書』の抄訳だ。また、シリーズでは異色とも言える文学作品が本書には収められている。破門された13世紀の詩人ヤコポーネ・ダ・トーディによる『讃歌』がそれで、亡き須賀敦子氏の未発表遺稿である。なお後期フランシスコ会学派にあたるドゥンス・スコトゥスやウィリアム・オッカムの著作は、第18巻「後期スコラ学」に収録されている。
※いずれも素晴らしい古典の宝庫→「中世思想原典集成」平凡社、「キリスト教古典叢書」創文社、「キリスト教教父著作集」教文館、「キリスト教神秘主義著作集」教文館、「ドイツ神秘主義叢書」創文社、「原典古代キリスト教思想史」教文館、「宗教改革著作集」教文館
■イベリア世界の歴史と社会、文化がこの一冊に集約される
スペイン・ポルトガルを知る事典(新訂増補版)
池上岑夫ほか監修; 平凡社; 4800円; 4-582-12632-4
92年に初版が発行されて以来、九年ぶりの新訂増補である。本書はもともと、平凡社のお家芸「大百科事典」をベースに編纂され、大幅な増補改訂と新規項目の追加により完成されたものだ。今回は、初版以後大きく変容しつつあるスペイン・ポルトガル両国の事情を踏まえて、〈国名編〉を大幅改訂し、新規項目のさらなる追加や、文献案内の増補のほか、関連ウェブサイトや世界遺産についてのコーナーを新設した。1000に上る項目数に図版が約180点。両国のことを全然知らない読者も、この一冊で一気に知識が広がるだろう。何気なくページをめくっているだけでも楽しい。必携である。
※平凡社の必備事典の数々→「イスラム事典」「新訂増補 アメリカを知る事典」「新訂増補 東南アジアを知る事典」「世界民族問題事典」「対日関係を知る事典」
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[2001年11月11日]
■「ポストモダン」を構成する諸潮流をはじめてマッピングした労作
ポストモダン事典
スチュアート・シム編; 松柏社; 3500円; 4-88198-998-7
アメリカを代表する建築家チャールズ・ジェンクスが70年代に初めて案出して以来、「ポストモダン」という概念は広く世間で用いられている。また、時代にマッチしたあまりにも便利なくくり方と、それ自身が問い直されることのないもっぱら形容詞的な汎用性ゆえに、その意味と意義をめぐって、リオタール=ハーバーマス論争をはじめ、様々な議論を呼び起こしつづけてきた。本書はその曖昧な内実を、125項目の関連人物・団体と、131項目の系列概念・思想の解説によって浮かび上がらせた力業だ。
本書はもともと98年刊の原書では、「ポストモダニズムとは何か」をめぐる論文集である第一部とセットを成す、第二部に当たる(第一部の邦訳は同版元から別冊として続刊予定)。編者は『現代文学・文化理論家事典』でこの手のガイドブックづくりには定評のあるS・シムだ。学者、作家、アーティストなど様々なキーパーソンが登場し、さらに文系理系を問わないジャンル横断的な諸概念と実践も取り上げられ、ここ四半世紀の西洋文化のメルクマールが見えてくる。「ポストモダン」の前提ないし起源としての、「モダン」や「近代」を知る上でも、必携の労作である。
※「ポストモダン」論の主要関連書→「『現代思想』2001年11月号:特集ポストモダンとは何だったのか」青土社、「ポストモダニズムの幻想」大月書店、「のちに生まれる者へ」紀伊國屋書店、「反美学」勁草書房、「ポストモダニズム」心交社、「モダンの五つの顔」せりか書房、「ノッツ」法政大学出版局、「ポストモダニティ」せりか書房、「ポストモダニストは二度ベルを鳴らす」白水社、「モダニティとポストモダン文化」彩流社
※「リオタール=ハーバーマス論争」関連書→リオタール「ポストモダンの条件」水声社、同「こどもたちに語るポストモダン」ちくま学芸文庫、同「リオタール寓話集」藤原書店、同ほか「ポストモダン文化のパフォーマンス」国文社、ハーバーマス「近代の哲学的ディスクルス I、II」岩波書店、同「近代」岩波現代文庫
■本書以後、もはや虚像で「ジプシー」は語れない
ジプシーの歴史 東欧・ロシアのロマ民族
デーヴィッド・クローウェ著 共同通信社 3200円 4-7641-0490-3
日本人が一般的に持っている「ジプシー」像の貧困さを克服するためには必須の本である。「放浪する民」というステロタイプなイメージでとかく語られてきたジプシーとはいったいどのような民なのか。中世以来、インド北部からロシアや東欧各国へと移住し、こんにちでは西洋世界のほぼ全域へ拡散し定着したとされる彼らは、様々な名で呼ばれてきた。なかでも代表的な「ジプシー」は「エジプト人」を語源とするという。これは他民族が押し付けた「外人」的なイメージを起源としており、もちろん事実とは異なる。彼ら自身は自らを「ロマ」と称することが多いようだ。
周辺的少数民族として各地域に順応し、文字をもたない話し言葉だけの文化のゆえもあってか、彼ら自身の自民族史と呼べる文書は作られていない。本書はそのいわば歴史なき民としてのロマ民族の変遷を研究してきた著者による、集大成とも言える成果だ。舞台となるのは東欧とロシアである。ある時は共同体に不可欠の職能集団であり、ある時は苛酷な迫害と抑圧、奴隷化の対象だった。特に、ナチスが彼らをユダヤ人同様に絶滅させようとした史実は有名だろう。彼らは常に周辺的な存在と目されていたが、いっぽうで例えばその音楽は東欧では大いに影響力のあるものだった。ロマの民がそれぞれの地域でどのように遇されてきたかを描いたこの本は、彼らの実像に迫る研究書として欠かせない基本文献となるだろう。
※「ジプシー」をめぐる関連書を探す→こちら
■ディアスポラを五類型に分けて解説した基本的研究書
グローバル・ディアスポラ
ロビン・コーエン著 明石書店 3800円 4-7503-1484-6
民族が故郷を喪失し、他国へと離散する状態を意味するディアスポラは、かつてはユダヤ人の悲劇にそぐわい言葉だったが、現代における移民問題をめぐってもまた、この言葉が頻繁に聞かれるようになってきた。『労働力の国際的移動』(明石書店)などの著書で知られる、南アフリカ出身のユダヤ人でありイギリスの社会学者であるコーエンは、本書でディアスポラを五つに分類する。すなわち、ユダヤ人・アフリカ人・アルメニア人などに代表される「被害者ディアスポラ」、植民地時代のイギリス人などの入植者に代表される「帝国ディアスポラ」、それと表裏一体であるインド人などの移植者たちの「労働ディアスポラ」、中国人商人やレバノン人などの「交易ディアスポラ」、在外カリブ人などの「文化ディアスポラ」である。それらの類型を比較検証しながら、現代における地球規模での民族離散を解説し、国民国家とのかかわりあいや、その未来像を展望している。原書は著者が監修する全17巻の「ディアスポラ・シリーズ」の第1巻として、1997年に刊行されたもの。基本書である。
※「ディアスポラ」をめぐる関連書を探す→こちら
■追憶でなくアクチュアルな事件としてアリの時代を読み解く
モハメド・アリとその時代 グローバル・ヒーローの肖像
マイク・マークシー著 未来社 2800円 4-624-41085-8
モハメド・アリというアメリカの黒人ボクサーがもっとも日本人に記憶されているのは、その勢いのいい早口で派手な言辞や、アントニオ猪木との異種格闘技戦や、アトランタ・オリンピックの聖火ランナーとしての物静かな姿(彼はパーキンソン病患者だった)によるものだろう。しかしアメリカ人にとってはそれだけではない。本書はモハメド・アリの伝記でもあり、オマージュでもあり、アリとその同時代を通して見た現代アメリカ黒人文化史ともなっている。マルコムXをはじめとする「ブラック・パワー」運動とアリ、イスラム教徒になったアリ、ヴェトナム戦争への徴兵に抵抗するアリ、それらはほとんどの日本人が知らなかった姿だろう。優れたノンフィクションとして読めると同時に、著者による文化政治分析や訳者による詳細な注により、カルチュラル・スタディーズの最高の成果のひとつとしても読める。アリの時代を読み解き、そこから学ぶことの重要性をはっきりと認識させてくれる、極めて刺激的な良書だ。原著は1999年刊の『リデンプション・ソング――モハメド・アリと60年代の精神』。このメインタイトルはボブ・マーレーの歌から採られたものだ。
※「モハメド・アリ」関連書を探す→こちら
■ゲバラ自身による「革命家チェ」の誕生記
チェ・ゲバラAMERICA放浪書簡集 ふるさとへ1953-56
チェ・ゲバラ著; 現代企画室; 2200円; 4-7738-0102-6
大傑作『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』に続く、若き日のゲバラが綴るみずみずしい文集の第二弾が、この書簡集だ。ブエノスアイレス大学を卒業し医師資格を獲得した彼が、ベネズエラのハンセン病院に勤務する親友と合流するために1953年にアルゼンチンを出国し、旅の途中でフィデル・カストロとの運命的な出会いを果たしてキューバへと赴く1956年までの期間に、家族や親友に宛てて書いた手紙が収録されている。もともとはゲバラの父が息子の伝記の続編として、詳細な解説を付して編集したもので、内容的には南米旅行日記に続くエピソードが収録されている。旅行中にペルー人亡命者のイルダと出会い、結婚し、子供ももうけるなどした彼の日常が赤裸々に綴られ、革命運動にのめりこんでいく過程がうかがえる。チェ青年の破天荒な中南米旅行記であると同時に魂の遍歴の記録でもある。
※「キューバ革命」関連書は→こちら
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[2001年11月20日]
■ついに『現代思想』誌がブックガイドを完成させた!
現代思想を読む230冊(現代思想2001年11月臨時増刊号)
青土社
『現代思想』がブックガイドを出したのは久しぶりのことで、ここまで本格的に体裁を整えたのは、2002年に30周年を迎えるこの雑誌ではじめての試みではなかろうか。斯界を代表する43人の研究者が、5分野43項目でが合計230点の基本図書をピックアップ。別立てで、冒頭には養老孟司による「私の5冊」と、締めくくりには、上野千鶴子、成田龍一、岩崎稔による討議「戦後思想を読む」が掲載されている。これで税込1200円というのはお値打ちものだ。ポストコロニアリズムからグローバリゼーション、戦争責任や正義、文学理論、科学論まで、現代思想の広域な射程を展望し、時代を見晴かす、必携の読書案内である。
※目次詳細は→こちら
■社会問題の病根を断ち切る強靭にしてしなやかな「希望」
希望の教育学
パウロ・フレイレ〔著〕 太郎次郎社 ISBN:4-8118-0663-8
こんにちこれほどまでに教育について根源的に、そして革新的に語りえた人がいただろうか。20世紀における教育思想家の最高峰であるフレイレ(1921-1997)が、彼の主著となる『被抑圧者の教育学』(亜紀書房)をブラジルで発表したのは1970年のことだ(邦訳は亜紀書房から1979年に刊行された)が、本書はフレイレの最晩年の1992年にやはりブラジルで出版されたもので、原書の副題には「ふたたび被抑圧者の教育学と出会う」とある。すなわち『被抑圧者の教育学』を執筆するまでの彼自身のライフヒストリーを振り返るとともに、この書物へ寄せられた様々な批判を再検討し、出版後に世界中をめぐって経験した問題意識の広がりとその実践的克服が語られる。
それは回顧などではなく、きわめて現代的な問い直しである。世間を悪意に満ちた場所として拒絶するのでも、他者との断絶のうちに自閉するのでもなく、あくまでも果敢に社会へ介入し、人々と語らうこと(教育とは抑圧的な権力に対する賢い妥協を民衆に教えるものでもなければ、高みから教えを垂れ、不平等のもとに優越感を確保するものでもない)。弛みなくあきらめず行動しつづけるのは容易ではない。いまこそエスペランサ(希望)を。それは宿命論に屈従せぬ力であり、よりよく生きようとする不断のたたかいなのだ。
※併読をお奨めします→イリイチ「脱学校の社会」東京創元社、ティリッヒ「生きる勇気」平凡社ライブラリー。]
■タイガの果ての果て――極東シベリア探索をガイドしたゴリド人
デルス・ウザラ
V.K.アルセニエフ著 小学館 1600円 4-09-251045-4
黒澤明監督の同名映画を見た方ならよくご存知だろうが、本書は百年近く前に極東シベリアを踏査したロシア人探検家が書いた味わい深い紀行文で、これまでに幾度か邦訳されている。古今東西の名著を読みやすく求めやすい体裁で提供してきた「地球人ライブラリー」から、このたび新訳で刊行された。ツングース系少数民族のゴリド人である探検ガイド、デルス・ウザラ老人の、大地に根ざした純朴な生き様を綴ったもので、極東の旅のめくるめく苛酷さと大自然の荒々しい美しさ、自然人デルスの時に時に大胆で時に繊細な振る舞いと豊かな感性が、読者の興味をひきつけてやまないだろう。探検家の帰還に同伴したデルスは、ほどなく都会の生活の奇妙さに耐え切れなくなり、家を出る。なんともいえない結末がこのあとに待ち受けているのだが、それはこの本を読んでもらいたい。動物にも植物にも石にもいのちがあり、デルスはそれらに耳を澄ませ、語りかける。ロシアでは今も読み継がれるロングセラーだ。抄訳ながら、読みごたえは十分。ぜひデルスに出会ってほしい。
※生きとし生けるものとの対話→「今日は死ぬのにもってこいの日」めるくまーる、
「植物たちの秘密の言葉」工作舎、「馬と話す男」徳間書店
※シベリアの大地を読む→「バイカル湖の民話」恒文社、「シベリア動物誌」岩波新書、「シベリア民族玩具の謎」恒文社
■こんにちなぜ国家主義はふたたび活発化したのか
ナショナリズム
姜尚中著 岩波書店 1300円 4-00-026436-2
好評の「思考のフロンティア」シリーズは別冊を除き、全16巻が本書で完結した。掉尾を飾るにふさわしい一冊は、近代日本のナショナリズムを分析する任においてはこれ以上の論客は望めない、在日の知識人を代表する一人による渾身の書下ろしである。氏の著書の中でも恐らく随一の、もっともまとまった長編論考と言えるだろう。本書は、日本がかつて経験した苛酷な軍国主義の中枢的信条であった「国体」観が、18世紀後半以後の萌芽的段階から、大日本帝国憲法と「教育勅語」を経て、大戦期の精神的かなめとなり、戦後も亡霊のようにかたちを変えて生き残っているさまを、思想史的に明らかにしようとしたものだ。ナショナリズムの定義をめぐる第I部と、国体ナショナリズムの変遷を追う第II部に分かれ、巻末には本シリーズの恒例で、著者自身による基本文献案内が付されている。巧妙な社会的強者の論理であるこんにちのネオリベラリズムとともに膨れ上がる歴史修正主義の跋扈の実相を知るうえで、欠かせない本だ。ほぼ同時に発売された著者編の入門書『ポストコロニアリズム』(作品社)とともに、ぜひ併読をお奨めしたい。
※同シリーズの緊密な関連書を挙げると→「ポストコロニアル」「歴史/修正主義」
■ハイチの民衆信仰の歴史が明かすクレオール文化の真実
ヴードゥー教の世界 ハイチの歴史と神々
立野淳也著; 吉夏社; 1900円; 4-907758-08-1
ヴードゥー教というと、赤ん坊を利用した残酷な呪術がまっさきに脳裏に浮かんでしまう世代は、70年代に氾濫したトンデモ本に親しんだ人たちだろう。もう少し「まっとうな」読書人ならば、ゾラ・ニール・ハーストンの『騾馬とひと』(平凡社ライブラリー)や『ヴードゥーの神々』(新宿書房)などを読んで、その起源と習俗とについて多少は知っているかもしれない。本書は大冊ではないが、恐らく邦人が書いた研究書の中でははじめて体系的にヴードゥー教の歴史的背景と神話、儀礼的真実を扱った注目作である。カリブ海域のクレオール文化への関心の高まりという文脈においても必読文献である。
前半部で著者は、ハイチにおけるスペイン人の植民地支配とアフリカ人奴隷の歴史から語り起こし、ハイチ革命前後の社会的背景を解説する。表向きはカトリック信仰を強要されていた奴隷たちは彼らの土着的な習わしを棄てず、カリブ海のその他の地域と同じように、異なる宗教を微妙なバランスで融合させていく。後半部では、海を越えた西アフリカ起源の民間信仰の神話体系と祭儀が説明され、その特異な秘密結社的集団の内実や舞踏・音楽文化が記述される。ヴードゥー教の多様な世界への招待となろう。
※見逃せない関連書→「蛇と虹」草思社、「ゾンビ伝説」第三書館、「アフリカの魂を求めて」せりか書房、「アフリカン・アメリカン文化の誕生」岩波書店、「アフロ-アメリカンの民話」青土社、「ニグロ・ダンス・抵抗」人文書院、「ブラック・ジャコバン」大村書店、「ブラック・ディアスポラ」明石書店、「コロンブスからカストロまで」岩波書店
■ラカン派新世代が哲学における男性至上主義を暴く
普遍の構築 カント、サド、そしてラカン
モニク・ダヴィド=メナール著 せりか書房 2500円
4-7967-0235-0
カントのスウェーデンボルグ論(「視霊者の夢」『霊界と哲学の対話』論創社所収)をラカン派の立場から取り上げた主著『純粋理性の狂気』(ヴラン社、1990年刊、未訳)が話題を呼んだ、ダヴィド=メナール女史(1947-)の待望の初訳である。精神分析と哲学の関連性をテーマに研究を続けてきた女史は、本書ではセクシュアリティ論の観点から、カントとサドの読解を通じて、これまで人文科学において無批判的に自明の前提とされてきた普遍性の概念を批判し、普遍性と一体である男性至上主義の陥穽から抜け出す経路を開こうと試みている。その果敢なカント解釈は、専門的哲学の閉域にひきこもりがちな従来のディシプリンを打ち破るものとしても注目を集める。従来の対抗主義的フェミニズムと一線を画す彼女の本領がいかんなく発揮された高著だ。原書は1997年刊。
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[2001年11月26日]
■「知らない」と、恥をかくよりこの一冊
新明解故事ことわざ辞典
三省堂編修所編 三省堂 3000円 4-385-13793-5
故事やことわざは意味や使い方を知らないと思いがけない場面で恥をかくことが多いわりには、国語辞典などで調べるのが面倒だ。しかし意味を理解できないのは、なにやら気分がすっきりしないし、年長者との会話でことわざを引かれて、はてさて何と返答したらいいものか焦る時もある。そんなわずらわしさを解消してくれる本書は、類書中最多の7300項目を収録した本格派ながら、コンパクトな造本がいい。「新解さん」シリーズの新しい仲間である。
巻頭にはまずキーワード索引があり、うろおぼえのフレーズでも引きやすくなっている。それぞれの見出し語は活字が大きめで、類義語や対義語、必要に応じて英訳を対応させる。中国古典に起源のあるものは、出典や故事の原文を明記。文学作品などを引用した「用例」や、読み方や使い方の「注意事項」がありがたい。巻末には「東西いろはがるた」「出典解説」「人名解説」「英語のことわざ」を収録。世代から世代へと引き継がれる「生きる知恵」の宝庫であり、楽しい「雑学事典」ともなっている。必携。
※「新明解」シリーズ既刊→「国語辞典・第五版」「漢和辞典・第四版」「古語辞典・第三版」「四字熟語辞典」「日本語アクセント辞典」
■ポストコロニアル研究の入門書は本書にとどめをさす
ポストコロニアリズム
姜尚中編 作品社
「知の攻略」シリーズから贅沢な入門書が出来上がった。編者はこのところ『ナショナリズム』(岩波書店)、『東北アジア共同の家をめざして』(平凡社)など立て続けに重要作を上梓している姜尚中(かん・さんじゅん
1950-)氏。ポストコロニアリズムをめぐる座談会がまず二本用意(第一部と第三部)されており、三谷太一郎、イ・ヨンスク、小森陽一らヴェテラン各氏によるものと、丸川哲史、村井寛志、洪貴義、島袋まりあ、本山謙二ら若手各氏によるものがある。どちらにも、編者が参加している。特に若手による座談会は彼ら自身の出自や関心領域が生き生きと(あるいは生々しく)語られており、本書の独自性を際立たせている。
第二部と第四部では、ポストコロニアリズムの思想的・理論的背景と、こんにちの具体的なトピックスが網羅される。臼杵陽氏による特別寄稿「ポストコロニアルから見る『自爆テロ』と『アフガン空爆』」も収録。第五部は、キーワードやキーパーソン、主要研究書を解説し、巻末には文献案内を付す。これまでの入門解説書の中ではダントツに情報量は多く、まさに必携の一冊となった。世界大戦の終焉とともに忘れ去られた「植民地支配以後」という問題意識があらためて教えるのは、私たち日本人が過去に実は解決しえなかった様々な国内外の政治的諸問題が、こんにちますます歪んだかたちで生き延びており、いまなお暗澹たる影響を社会情勢のすみずみにまで及ぼしているという事実である。第一線の研究者と注目の若手が勢ぞろいで取り組んだ労作だ。
※これまでの代表的類書→小森陽一「ポストコロニアル」岩波書店、ルーンバ「ポストコロニアル批評入門」松柏社
■アーレントのハイデガー論を含む注目のアンソロジー集
ハンナ・アーレントを読む
情況出版編集部編 情況出版 2600円 4-915252-59-0
情況出版の「読む」シリーズはこれまで数多く刊行されており、それぞれ硬派なテーマを扱って刺激的な議論を提起しつづけてきた。今回は近年ますますその政治思想が見直されつつあるハンナ・アーレントを取り上げている。第一部はアーレントによる1971年の論文で「八〇歳になったハイデッガー」を収録。第二部は「アーレントとアメリカ」、第三部は「現代思想におけるアーレント」、第四部は「アーレントの生」と題され、日米を代表する16人の研究者がアーレント思想の再評価とその現代的意義を検証している。特にリサ・ディッシュやナンシー・フレイザー、セイラ・ベンハビブなど、気鋭の論客による読解が読めるのがうれしい。先に刊行されたホーニッグ編『ハンナ・アーレントとフェミニズム』(未来社)やヤング=ブルーエルによる伝記決定版『ハンナ・アーレント伝』(晶文社)と併せ、必読文献としてお奨めしたい。
※アメリカにおけるフランクフルト学派の遺産→ジェイ編「アメリカ批判理論の現在」こうち書房、ジェイ編「ハバーマスとアメリカ・フランクフルト学派」青木書店、キャルホーン編「ハーバーマスと公共圏」未来社
■民主主義の礎としての市民社会の未来を展望する
グローバルな市民社会に向かって
マイケル・ウォルツァー編; 日本経済評論社; 2900円;
4-8188-1372-9
『正義の領分』(而立書房)、『解釈としての社会批判』(風行社)などの邦訳書や、未邦訳だが近年では『寛容について』『正義の戦争、不正義の戦争』、『アメリカ人であることとは何を意味するか』など、次々と注目作を世に問うてきた、米国を代表する政治哲学者の一人であるマイケル・ウォルツァー(1935-)の編集による、骨太なアンソロジーである。基礎論となる第一部「市民社会の概念」に始まり、順次トピックごとにまとめられて、第二部「共同体主義からのアプローチ」、第三部「経済政策と社会主義」、第四部「政治、経済の国際化とナショナリズム」、第五部「ヨーロッパの社会主義とアメリカの社会改革」と続く。エルシュテイン、エツィオーニ、ホブズボーム、ムフなど、26人の知性がそれぞれ刺激的な論題を提示し、火花を散らす。批判的共同社会論を構想するウォルツァー論文を筆頭に、ポスト冷戦時代における市民社会論の単なる流行を超えて、民主主義の可能性を具体的かつ理論的に究明した必読論考が満載である。原著は1995年刊。
※「市民社会」論の関連書を探す→こちら
■さしものデカルトも王女にはかなわなかった?
デカルト=エリザベト往復書簡
デカルト著 講談社 950円 4-06-159519-9
これまでに幾度か出版された抄訳においては、ほとんど顧みられることのなかったボヘミア王女エリザベトの書簡をも訳出した、待望の全訳である。1637年に『方法序説』(岩波文庫)を、1641年には『省察』(白水社)を刊行し、自らの哲学的立場を確立していたデカルトは、1643年、46歳の折に、利発な若い王女エリザベトからの手紙を受け取る。王女は当時24歳。ずばずばとシンプルな質問をぶつけてくる彼女に、デカルトは、あくまでも丁重に返信しながら、のちに『情念論』(1649年。邦訳は中公文庫)に結実する貴重な論点を得ていく。七年余のあいだに多くの手紙が交わされ、こんにち現存する60通がここに公開された。
話題は形而上学から日常生活まで多岐にわたる。デカルトが「ソクラテスのダイモーン」を持ち出して、自身の内面の声に耳を傾けることの大切さを示唆すれば、エリザベトは、ソクラテスの入獄や死を避けられなかったようなダイモーンなら私には不要だ、と返信する。宮廷人としての政治生活のプライドが、デカルトの精神論を退けるさまは、下世話な感想かもしれないが面白い。デカルトも思いがけず、著書では書かないような信条を吐露したりもする。1644年に公刊された彼の『哲学原理』(岩波文庫)はこの王女エリザベトに捧げられた。
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