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Notes on the Sand....or a Critique of Cultural Politics.  by Hiroshi Kobayashi


2002年1月に、bk1「人文レジ前」で取り上げた書目は以下の通りです。

02年1月7日

◆在日作家の証言による、教科書にない貴重な朝鮮史の一幕

なぜ書きつづけてきたかなぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学
金石範+金時鐘著、平凡社、ISBN:4-582-45426-7、本体価格: \2,400

日本の敗戦を契機に植民地支配から脱却したはずの朝鮮は、米ソの分割占領のもとに置かれ、戦後の冷戦体制による国土分断の最初期の犠牲となった。そこに至る過程で、忘れてはならない一連の事件が起きた。1947年4月3日、朝鮮半島の南方90キロに浮かぶ火山島「済州島」で、アメリカ主導の分断国家樹立に反対する武力蜂起が巻き起こった。さらに、それに対抗する当局軍警などの苛酷な鎮圧や、武装ゲリラ内部の告発によって、じつに島民の三分の二におよぶ約三万人が数年間にわたって殺戮されたのである。本書は、現代日本を代表する在日朝鮮人作家二人がこの「四・三事件」を振り返り語った対談を中核に据えている。歴史教科書には掲載されることのない朝鮮現代史の一幕が明かされるとともに、在日作家として活躍する前史あるいは背景にある、二人の生き様が生々しく証言される。

武装蜂起に若い頃参加し凄惨な現場を目撃したのち、命からがら渡航した日本では長らく事件については沈黙しつづけていた詩人の金時鐘。事件には関わっていなかった自分と故郷を見つめ直すかのように、20年もの歳月をかけて、事件を題材にした小説『火山島』を完成させた金石範。ともに1920年代後半に生まれた二人の作家が胸襟を開いて語りあう真実には、犠牲者への思いと残酷な記憶の傷跡を晒しながら、事件をめぐる巷間の歪んだ歴史認識の根源を激しく問い詰める迫力がある。編者の文京洙や、歴史家ブルース・カミングスによる事件史を問い返す諸論考のほか、金石範と梁石日の対談、大韓民国の「済州島四・三事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」訳文や、事件をめぐる年表など、資料編も充実している。

※事件をめぐる研究から現代の観光案内まで、済州島をめぐるさまざまな本は→こちら。


◆概念としての「芸術」一般の誕生と「近代」を同時に問う

芸術の名において
ティエリー・ド・デューヴ著 青土社 2600円 4-7917-5936-2

邦訳単行本第一弾として先に刊行された『マルセル・デュシャン』(法政大学出版局)が現代美術史を扱う学術的考証であるのに比べ、本書は一般読者の通読にも耐えうる軽妙なエッセイ集となっている。第一部では、読者自身が主人公だ。火星から来た民俗学者であると仮定し、地球上の「芸術」を研究したとするとどんな問題にぶち当たるかが、ロールプレイングゲームよろしく描かれている。気持ちが入りやすい仕掛けである。どんどん高度な議論に引っ張り込まれるのだが、端的に言えば「芸術」一般などというものが果たして存在するだろうか、という問いをめぐるスリリングな冒険が味わえる。この問いこそ本書を貫く導きの糸であり、第二部では単なる美的判断(「これは美しい」)が近代において芸術的価値(「これは芸術だ」)へと発展した歴史的顛末を解明し、第三部では、デュシャン以後の芸術家たちが「どうということはない日常的なもの」を作品の題材に使い始めたことによって、「芸術」概念が変容してきたさまを説いた。モダンなものの起源を芸術論を通じて分析した高著である。

なお、研究者向けには本書が大幅改訂された英語版"Kant after Duchamp"1998, MIT Pressを参照されることをお奨めする。訳者あとがきに出てくるド・デューヴとミシェル・フーコーとの出会いの興味深いエピソードは、この英語版冒頭の謝辞に書かれている。

※「近代」とは何か?→ハーバーマス「近代:未完のプロジェクト」岩波現代文庫、
トゥールミン「近代とは何か:その隠されたアジェンダ」法政大学出版局、尾崎信
一郎「絵画論を超えて」東信堂、フォスター編「反美学」勁草書房、同編「視覚論」平凡社。


◆小村での生活から目の当たりにした最貧国の一現実

バングラデシュ/生存と関係のフィールドワーク
西川麦子著 平凡社 2800円 4-582-48133-7

フィールドワークで得た「実感」には、実地見聞のデータを整理するための「論文」では掬いきれない何かがある。本書はそんな「実感」から生まれた。文化人類学を学ぶ当時27歳の大学院生が実地調査のため、首都ダッカから車で五時間走った先にあるジンタ村で、1988年から一年半過ごした。彼女はとある家族の仮の「娘」として共同体に受け入れられ、自分の身の回りに起きた様々な出来事や村落社会の様子をつぶさに記述し、帰国後にいくつかの学術論文を書く。やがて彼女は日本の大学で教鞭を執ることになるのだが、十年の歳月を経て、ようやく「実感」に立ち返ることになったのだ。それは文化人類学的記述のスタイルを問い直す作業でもあった。

著者はデータの類型化や分類によって枠組みを決めてしまうのではなく、流動する生活の場を日誌のように綴り、微妙な人間関係をありのままに見せる。グラミン銀行の功罪を淡々と事実に即して書くくだりは、多くの読者の目に留まるだろうが、それにも増して、著者自身がムスリムのデモに出くわして小突かれるさまや、ある日手持ちの金銭を盗まれてそれが村の一大事へと発展していくさまは、一ビデシ(外人)として暮らした「実感」が滲んでいて、読む者を惹きつける。その後、村はヒンドゥー系住民の離村が相次ぎ、大きく移り変わっていくが、統計やメディアのニュースからは得ることのできない視点で体験的に生を語る本書は、リアリティとは何かを捉えなおすしなやかさをもった魅力的な脱=研究書となっている。

※バングラデシュのことをもっと知るために→こちら。
※「グラミン銀行」→『ムハマド・ユヌス自伝』早川書房


◆身体論の歴史を通じて西洋哲学の系譜をたどり直す入門書

身体 内面性についての試論
マルク・リシール著 ナカニシヤ出版 2200円 4-88848-666-2

身体とは何かを解明するものというよりは、身体とは何かと問うことの困難さを通じた西洋哲学史の再記述の試みである、と表現する方が正確だろう。とりわけフランス哲学において、身体論はしばしば議論の俎上にのぼってきた。デカルトが悩み、メーヌ・ド・ビランやベルクソンが挑戦し、現代ではサルトル、メルロ=ポンティ、ミシェル・アンリらが取り組んでいる。精神性の探究が最優先されているように見えるヘレニズム哲学や、その学統を汲むドイツ観念論の系譜にしてみれば、身体とはやっかいな夾雑物であり、それについて問うのは本質的ではなく周辺的なことだったかもしれず、身体への問いはいわばフランスの風土的文化的特質と無縁ではないのかもしれない。

本書はまず身体と精神を分離する二元論的な発想からではなく、身体に「受肉」した人間の生活から出発し、感覚・情緒・情念・思考とは何かを再検討することから始める。身体を問うことは、割り切れない数々の謎を扱うことである。生のありようを問い、生命の不可思議に肉薄し、死とは何かを考える、非常にこみいった難問に踏み込むことであるのだ。続いて、古代ギリシア哲学からキリスト教的伝統、現代の現象学に至る様々な身体論へのアプローチが概観される。印象的なのは「現象学」と題された結論部分である。ここではもはや「身体とは何か」が問われるのではなく、生の体験が多次元的で無尽蔵に豊かであり、それに取り組む探究には基礎付け可能な堅固な基盤があるのではなく、還元不可能な深淵への終わりなき道程があるのだ、という認識が示される。その道程は無限の徒労でも悪循環でもなく、ある「別の仕方」の認識を必要とする探究である。入門書ながら、哲学的地平の遥かな展望を体感させる良書だ。

※メーヌ・ド・ビランを読み直す→「人間の身体と精神の関係」早稲田大学出版部、「人間学新論」晃洋書房。グイエ「メーヌ・ド・ビラン」サイエンティスト社、北明子「メーヌ・ド・ビランの世界」勁草書房、中敬夫「メーヌ・ド・ビラン」世界思想社、アンリ「身体の哲学と現象学」法政大学出版局。

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02年1月13日「9.11特集」用記事

『9月11日メディアが試された日』トランスアート

◆メディア・ウォッチの重要性を教えてくれるレポート

アメリカ同時多発テロ事件と報復戦争をめぐって、テレビや新聞はどう報道してきたか。インターネットにはどのような情報が行き交ったか。本書は、主に日本をはじめとする東アジアやアメリカなどにおける各種メディアが、テロ事件から報復戦争までをどのように扱ってきたかを検証する、重要なレポートである。テレビは映像を通じて、新聞は活字によって、それぞれ情報操作的なナショナリズムに貢献しがちだった一方で、インターネットではそれらとは別の価値基準と観点から事件を分析するネットワークが生成されていった。今回の出来事をきっかけにして、それぞれのメディアやジャーナリズムの意義と本質が問い直されることになったのだ。書き下ろし論文や座談会のほか、各国のメディア動向が報告され、オンラインで回覧された知識人の発言や各種団体の声明が12本併録されている。見ることや読むことを通じて自分たちがインプットしている情報に、いつのまにか振り回されることが多い昨今、本書の自律的な批判と分析には学ぶべきところが大いにある。必読だ。


『セプテンバー11』新潮社

◆テロ事件の現場に居合わせた臨場感のみが訴えうるもの

国際的に高名な報道写真家集団「マグナム」に所属する18名と、フリーランスの写真家3名による、テロ事件現場の映像記録である。もうもうたる煙に包まれた、世界貿易センター・ビルの崩落直前直後の現場が、近景と遠景をそれぞれ織りまぜて収録されている。逃げ惑う人や駆け足の消防隊員が行き交う様子は、まさにそこに居合わせていたら呆然と絶句するか恐怖に絶叫するしかないような類のもので、読者はあたかも事件現場へと実際に連れて行かれたかのような臨場感を憶えるだろう。現場に急行した聖職者が祈りを捧げながら立ち尽くす写真などは、何とも言えないメッセージを読者に突きつける。また、日が改まって、街頭でこの悲劇を哀悼する人々の群を写した写真は、亡くなった消防士の夫人をクリントン前大統領がそっと抱きしめている光景をはじめ、痛々しいの一言に尽きる。写真家たちの短いコメントが添えられているほか、デイヴィッド・ハルバースタムが序文を寄せている。最後の11枚に映された在りし日のWTCビルの姿が、物悲しくもいっそう印象深い。


◆「テロ撲滅戦争」と称して米国が何をやりたいのかが見えてくる

「ならず者国家」と新たな戦争 米同時多発テロの深層を照らす
ノーム・チョムスキー著 荒竹出版 1500円 4-87043-152-1

テロ事件前に刊行された『Rogue State(ならず者国家)』から3章分の論文と、ウェブサイト「Zネット」へ掲載された論文(2001年7月3日付)、テロ事件後の10月18日にマサチューセッツ工科大学で行った講演の記録を一冊にまとめたのが、本書である。先に邦訳された『9.11』と並んで、チョムスキーの冷徹なアメリカ論は、事件の前後も一貫しているものであることが分かる。弾道弾ミサイル防衛計画による宇宙戦争の危機を批判した「Zネット」論文や、ならずもの国家(より最近の表現では「テロ支援国家」)とはそもそも何かを問う二論文をはじめ、1999年の東チモール独立運動へのインドネシア軍の弾圧と住民大量殺戮にアメリカがどう関わってきたかを告発する論文が、テロ事件前からの発言として集められている。

チョムスキーにとってはアメリカもまた、ならず者国家の一員なのだが、アメリカにとってならず者国家とは、単なる犯罪国家という以上に、強国(アメリカ)の命令に反抗する国家のことなのだ。本書でチョムスキーは、アメリカがあくまでも自らの蛮行を正当化し免責していることを厳しく非難している。報復のためのアフガン空爆が開始された後、ほどなくして行った講演で、彼は「テロの脅威を減らしたいなら、それに加わるのをやめることだ」ときっぱり主張する。アメリカがこれまで他国にどう暴力をふるい、圧力をかけてきたか。その実態を糾明した本書は、同時多発テロ事件の有無に関わらず、今後アメリカがどうしたいのか、というところまでも読者に理解させてくれる。戦慄の書である。


関連参考書

現代アラブ・ムスリム世界 地中海とサハラのはざまで
大塚和夫編 世界思想社 2300円 4-7907-0915-9

アフガニスタンの仏教遺跡バーミヤン
前田耕作著 晶文社 2400円 4-7949-6515-X

地球をめぐる女たちの反戦の声 テロも戦争もない21世紀を
松井やより編 明石書店 1000円 4-7503-1519-2

“アメリカ'ズ・ウォー”と世界 NHK報道の100日間
NHK出版編 日本放送出版協会 950円 4-14-969210-6

この子たちのアフガン
川崎けい子著 オーロラ自由アトリエ 1500円 4-900245-13-5

ラティファの告白 アフガニスタン少女の手記
ラティファ著 角川書店 1300円 4-04-791401-0

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02年1月14日

◆戦時下日本に投げ込まれた反戦アジビラ「サブ反」の明晰さ

サブカルチャー反戦論
大塚英志著 角川書店 1100円 4-04-883726-5

アメリカによるアフガニスタンへの戦争行為が終結したとしても、日本は今後「戦時下」であり続けるだろう、と著者は書く。マスコミや文壇・論壇における戦争肯定的(ないし反戦的主張をあらかじめ諦めているかのよう)な雰囲気を鋭く分析しつつ、「戦争は嫌だ」という実感から出発する言論の可能性を追究している。平和ボケを脱するという名のもとに憲法改正を推し進めるのは果たして正しいことか。政治家や新聞記者から、識者やタレントまで、メディアを蔽う言説には何かしら、戦争の「実感」が欠けているのではないか。文芸雑誌やブックレットに発表されてきた5つのエッセイに書き下ろしを一篇加えた、この自称「アジビラ」は、戦争への荷担は間違っている、と日常の場から繰り返し語る試みの重要性を主張する。これをナイーブすぎると冷笑する向きも世間にはあるかもしれないが、著者は別に良識派ぶっているわけではない。サブカルチャー研究を足がかりにしながら、時代のリアリティとアクチュアリティの所在を問い直してきた著者ならではの、明晰な「戦時下」論である。なお、本書の著者印税は全額、アフガニスタンおよび周辺国で活動するNGOに寄付される。

※関連書→「戦後民主主義のリハビリテーション」「テロ以降を生きるための私たちのニューテキスト」いずれも角川書店刊


◆ナチス安楽死政策の法思想的論拠にすり替えられた問題の古典

「生きるに値しない命」とは誰のことか ナチス安楽死思想の原典を読む
カール・ビンディングほか著、窓社、ISBN:4-89625-036-2、\1,800

ドイツの法律家であり刑法学者のビンディングによって書かれ、精神科医のホッヘによる論評を付された原著(原題は『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』という)は、1920年にライプツィヒで公刊された。じつに80年を越す歳月を経て、問題の古典が詳細な批判的評注二篇とともに日本語で読めるようになったことは、大変に喜ばしいことだ。こんにちまで、ビンディングが死の間際に仕上げた安楽死論は、ナチスの残虐行為の法思想的論拠であったと非難されてきた。ビンディングが本書で呈示した問題設定は次のようなものだ、「生命を終わらせる行為が許されるのは、緊急事態を除けば、自殺に限定されるべきか。それとも他人による殺害へと法的に拡大されるべきか。その場合にはどの程度の範囲までか」。

誰もが忌避してきたこの主題に取り組んだ労は、学問的純粋さ(というものがもしありうるとすれば)においては評価されるべきかもしれないが、ヒトラーや彼の侍医モレルは本書の論旨を拡大解釈して、国内の知的障害者や痴呆患者を「安楽死」させ続けたのだ。拡大解釈されうる余地があったのが悪かったのか、拡大解釈した者が悪いのか。ホッヘによる論評の中には確かに知的障害者の生命を貶める鼻持ちならない記述がある。ホッヘ自身も安楽死の濫用に警告を発し、対象となる患者の「選別」をどうするかと自問するものの、ただちに「医師による選別には間違いはない」と断定的に自答してしまう。結果、人道的には大失敗となる「応用」が成されたわけだ。人命をめぐる倫理を根本的に考える上で、ぜひとも読まれなければならない重要書である。

※医学者の戦争犯罪を考える→ミッチャーリッヒ「人間性なき医学:ナチスと人体実験」ビイング・ネット・プレス(星雲社=発売)、クレー「第三帝国と安楽死」批評社、吉永春子「七三一」筑摩書房、ハリス「死の工場:隠蔽された731部隊」柏書房。


◆声の技法がかたちづくる聖なるものの秩序と侵犯

聖者の推参 中世の声とヲコなるもの
阿部泰郎著 名古屋大学出版会 4200円 4-8158-0419-2

「推参」とは、呼ばれもしないのにやってきて、問われもしないのに語る行為であるが、中世においてそれは日常からの逸脱としての芸能の本質であり、世俗社会の秩序を侵犯する行為であった。前著『湯屋の皇后』(名古屋大学出版会)で、日本中世における性と聖なるものの相関性を論じて高評を得た著者は、その姉妹編に位置付けられた本書で、聖なるものの現れとしての「声」と「ヲコなるもの」が、宗教/芸能を通じて中世社会を生成し更新していくさまをたどろうとした。主として90年代に専門誌や講座ものに発表されてきた九つの論考と、書き下ろし一篇が収録されている。

「ヲコ(嗚呼)なるもの」とは一種の狂気であり、笑いを誘うおかしみ/おろかさであるが、弱者が強者を出し抜く原始的な大胆さでもある。書き下ろされた終章「文覚私註」で考察される荒くれ坊主の文覚は、遊興の宴の真最中にいた法皇の前に「推参」し、大声で自身の荒寺復興への助成を請うとともに、つまみだそうと襲いかかる武士たちを豪胆に投げ飛ばしたという伝説をもつ「ヲコ者」だった。権力を転倒させる働きとしての「ヲコ」、「ヲコ」を現前させるものとしての「声」、「声」を伴う「ヲコ」へのパッションとしての「推参」。流麗な文体が、中世社会に満ちみちる声のダイナミズムを甦らせる。見事な本である。

※関連書→柳田国男「不幸なる芸術」(『柳田国男全集(19)』筑摩書房)、「笑の本願」(『柳田国男全集(15)』筑摩書房、)、丸山静『熊野考』せりか書房。


◆西欧中世におけるもっとも高名な女性宗教家によるユニークな博物誌

聖ヒルデガルトの医学と自然学
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン著 ビイング・ネット・プレス 星雲社(発売) 6000円 4-434-01559-1

90年代後半より再評価の機運が著しいビンゲンのヒルデガルトは、神学のみならず医学・薬草学にも詳しいばかりか、芸術の分野でも秀でており、12世紀ドイツおいてもっとも博識な修道女(ベネディクト会)として知られる。現在、平凡社の『中世思想原典集成』や教文館の『キリスト教神秘主義著作集』の両シリーズなどで、ヒルデガルトの著作を訳出する作業が進んでいるが、それらに先駆けて、彼女の著書のひとつ『フィジカ(自然学)』が、英語版からの重訳ながら刊行された。本邦初訳である。本書は九つのパートから成る博物誌であり、生物/無生物の解説が全部で512項目ある。

「第一の書」は230種の植物を扱い、「第二の書」は14の元素を解説する。そして後は「第九の書」まで、樹木が63、石と宝石が26、魚が36、鳥が72、動物が45、爬虫類が18、金属が9、と続く。単なる博物誌と違うところは、それぞれの薬効や毒性などを示し、病いなどの治療に活用するためのアドバイスを添えていることろだ。一方で現代のハーブ療法の先駆的な成果があれば、他方では「サファイアを口に含めば怒りがおさまる」とか「ユニコーンの皮で造ったベルトを身につけていると重病にかからない」など、ユニークな説明もある。監訳者の解説によれば、本書は、ホリスティック医学の原点と目される業績である。中世の特異な自然観が満喫できる本として楽しめる。同時代を生きた修道士による彼女の伝記『聖女ヒルデガルトの生涯』とともにひもときたい。

※聖女ヒルデガルトとは誰か→種村季弘「ビンゲンのヒルデガルトの世界」青土社、ニューマン「ヒルデガルト・フォン・ビンゲン」新水社。
※ヒルデガルト研究を含む論文集→「中世の自然観」創文社、「ドイツ女性の歩み」三修社、「中世の牧会者たち」日本基督教団出版局、「中世の患者」人文書院

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02年1月21日

◆暗殺による絶対的不在を超えて、彼の「生」がなおも語りかける

マーティン・ルーサー・キング自伝
マーティン・ルーサー・キング著 日本基督教団出版局 5500円 4-8184-0430-6

黒人差別撤廃運動史において燦然と輝く不撓不屈の巨星、キング牧師の豊穣な生涯がこの一冊に凝縮されている。彼の著書および草稿をはじめ、未公刊のものを含むさまざまなテクスト――記事・論文・演説・説教・声明・手紙・公的文書・メモ・コメントにいたるあらゆるものと、公刊ないし録音されたインタビューとが再編集されて、いわば自伝的構成に仕立てられたのが、本書である。アメリカでは現在、全14巻におよぶ「キング著作集」が刊行中なのだが、この自伝はいわばそのダイジェストと言える。

あまりにも有名な1963年の演説「アイ・ハヴ・ア・ドリーム(私には夢がある)」や、暗殺前日の、まるで死を予知していたかのような感動的な最後の演説「私は山頂に登ってきた」(1968年)など、よく知られてはいるがなかなか全文を読むことのできなかった主要スピーチも、すべて本書に収録されている。ガンディーの非暴力思想とキリストの博愛思想に支えられた強靭な精神の遍歴は、何度読み返しても胸が熱くなる。本書は、戦後アメリカのもう一つの民衆史を如実に語っている第一級の作品である。

公民権運動では賞讃された彼がヴェトナム戦争に反対した時には、「国益に反する」というかどで、黒人の知人からさえも非難された。この時期の勇気ある思慮深い発言は、いまもなお私たちに様々なことを考えさせる。貧困による差別、人種による差別と戦った彼は、アメリカの軍国主義的ナショナリズムにも真正面から反対した。彼がもし現代になお生きていたとしたら、アメリカの現在、世界の現在をどう見るだろうか。未来をも照らす一条の光が本書にはある。定価5500円というのは、この内容ならむしろお買い得価格だ。

※併読をお奨めします→「ガーンディー自叙伝」平凡社


◆戦争相手を過剰に悪魔的に見る傾向は、今も昔も変わらない

容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別
ジョン・W.ダワー著 平凡社 1600円 4-582-76419-3

真珠湾に攻撃を仕掛けてきた卑劣な日本人を、醜い「サル」としてアメリカ人は当時描き、日本人は、アジアを蹂躙する強欲な「オニ」としてアメリカ人を書いた。太平洋戦争における両国間の敵対イメージは、相互の憎しみと蔑視を煽りたてるものだった。日米間のあの戦争で、双方の政治家や軍人、マスコミや識者は、互いをどう敵視してきたか。その生々しい史実を綿密にたどった本書は、アメリカにおける日本研究――特に日米関係史研究に多くの実績をのこしてきたダワー教授が1986年に発表した著書で、日本ではいち早く1987年にTBSブリタニカから『人種偏見:太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』として刊行された。

このたび、新たな著者序文と監修者解説が加えられ、ライブラリー版として再刊された本書は、2000年度のピュリッツァー賞を受賞した『敗北を抱きしめて』に先行する姉妹篇であり、当時全米で大きな反響を呼んだ一冊である。日米相互の敵視と利己的正義感は、実際に戦争後も経済的競争というかたちで噴出しており、蔑視のレトリックは根強く残っている、と著者は指摘する。さらに、同時多発テロ事件後のアメリカについて言及した新たな序文で主張されているように、そのレトリックはビンラディン一派とアメリカの間でも再生産されているのだ。繰り返される歴史の、ひとつの類型を克明に分析した本書が、今も読み継がれているゆえんは、ここにある。

※人種差別の病根に迫る→トドロフ「われわれと他者」法政大学出版局、メンミ「人種差別」法政大学出版局、グールド「人間の測りまちがい 増補改訂版」河出書房新社、ベン・ジェルーン「歓迎されない人々」晶文社


◆もてなし(ホスピタリティ)と博愛の新たなユートピアを構想する

反グローバリズム 新しいユートピアとしての博愛
ジャック・アタリ著 彩流社 1900円 4-88202-727-5

原題は「博愛:新たなユートピア」。1999年にフランスで刊行されている。本訳書では、著者による「911」後の世界状況を踏まえた序が寄せられた。全七章のうち、第1、第2章では、SF小説仕立てで、未来の地球社会が描かれる。科学技術的に進歩はしているが、文明間の衝突や様々な経済的不均衡で、破滅の恐れもある。これまで数々のすぐれた文明論を世に問うてきた秀才ならではの、アタリ節炸裂、である。共存か、ともだおれか。以下の章では、自由と平等との共存可能性としての「博愛(フラテルニテ)」が、これまでの西欧思想史を介して分析され、すべての他者に向けられた普遍的な愛他主義である博愛思想の未来における展望が語られる。辣腕政治家として鳴らしているだけに、メッセージは理念的に明瞭であり、提言も直裁的だ。

個人の実践から出発する素朴さから出発して、社会的経済的には「博愛システム」が採用されるとなると、筋道が直裁的というよりあけすけに聞こえてしまうが、そうではない。率直な分、どこか功利的な響きを感じないではないが、理念だけでうやむやになっていないところがいい。ちなみにアタリは「将来的なユートピアにふさわしい都市」として五つ挙げているが、それはエルサレム、ニューヨーク、パリ、シンガポール、リオデジャネイロだ、という。ユニークである。東京、とはどこにも出てこない。アタリの未来学と世界戦略は、おそらく日本人の思惑とは異なるが、それだけに学んでおく必要がある。

※関連書→シェレール「歓待のユートピア」現代企画室、「ノマドのユートピア」松籟社。


◆名著がついに刊行。ページをめくるごとに驚嘆がある。

グノーシス 古代末期の一宗教の本質と歴史
クルト・ルドルフ著 岩波書店 9000円 4-00-022605-3

本国ドイツでは1977年に初版が刊行され、その後も版を重ねて1990年に改訂第三版としてペーパーバック化されており、欧米では広い読者を獲得してきた。というのも、グノーシスとは、原始キリスト教の成立とほぼ同時代の古代末期に勃興し発展した宗教運動で、その思想はキリスト教教会に「余りにも大きな影響」を与えたとされており、キリスト教世界に生きる人々にとっては、この「歴史を共有する兄弟同士」とされているグノーシスへの関心が高いためだろう。日本では90年代後半から、本書の訳者である大貫隆氏が中心者の一人となって、貴重なグノーシス原典集『ナグ・ハマディ文書』が邦訳され、研究書も増えてきている。

ヨナス『グノーシスの宗教』を筆頭とした、先行する研究書の星座の中でも、ルドルフのこの著書はもっとも中心を占めることになる、基本文献である。全体は四部構成で、まず、こんにちまでの先行研究や考古学的発見の歴史が通覧され整理される「資料」の部が冒頭にある。次に「本質と構造」の部で、グノーシスの特異な神話体系と救済論、祭儀や共同体の形態が解説される。第三部「歴史」では、グノーシスの起源と二世紀における発展が説明され、グノーシス派の宗教としてのマニ教とマンダ教も詳しく紹介。第四部「展望」では、グノーシスが秘教主義に偏って衰退し、中世における異端思想の淵源となった顛末が語られる。

グノーシスは、アレクサンドロス大王時代に東方世界の宗教思想を大いに摂取して醸成された宗教的混合体であり、キリスト教がさらにその混合的知恵を吸収してからは、ヨーロッパ世界の思想的地下水脈として生き残った。本書はいわば「陰のキリスト教史」としても読める。珍しい神話的図版の数々や、年表、参考文献など、内容は充実している。至高の神と悪の神、数多くの精霊や天使の乱舞と、めくるめく「反世界的」救済観は、読み進めるごとに驚嘆を誘う。グノーシスは、人間的想像力の「原型」のひとつであり、現代もなお生き延びているのだ。

※関連書→大貫隆編訳『グノーシスの神話』、同著『グノーシス考』、同編『グノーシス 陰の精神史』、同編『グノーシス 異端と近代』いずれも岩波書店、荒井献『グノーシス主義(荒井献著作集6)』岩波書店、柴田有『グノーシスと古代宇宙論』勁草書房、ペイゲルス『ナグ・ハマディ写本』白水社、スコペロ『グノーシスとはなにか』せりか書房


◆そうか、これは古くから練磨されてきたひとつの宇宙観なのか。

一つ目小僧と瓢箪 性と犠牲のフォークロア
飯島吉晴著; 新曜社; 4200円; 4-7885-0785-4

カマドは山の神を飼いならし、ひょうたんは水の神を制圧する。一つ目小僧は鍛冶屋で、蝶は生まれ変わる霊魂である。日本民族が古くから培ってきた祭政儀礼と習俗、古くから語られてきた神々と妖怪は、それぞれに迷信以上の理由があって、起源と背景を持っている。本書は、「性と犠牲」をテーマに編まれた、著名な民俗学者による論文集である。高評作『竈神と厠神』(人文書院)につづく、民間伝承研究だ。80年代後半から90年代にかけて様々な雑誌や論集で発表されてきた19論文が、「一つ目小僧とタタラ」「裸回りと柱の民俗」「性の神と家の神」「異人と闇の民俗」の4部に分けて収録されている。てんこもりである。

製鉄や金属加工の技術に関わる人々の、精錬する火を片目で見つめるために高齢になると失明してしまう姿が、一つ目小僧として神話化されるとともに周辺化されてきた歴史をたどる第一論文は、柳田国男らだけでなくレヴィ=ストロースやジラールを援用しながら、今村仁司の「第三項排除論」を民俗学的に鍛え直していく手際のよさを見せる。本書のもっとも中核となるのは「性」と「火」をめぐる宇宙観に迫る第三部の諸論考であるが、「性」や「火」がそれぞれいかに近しいものであり、日本人が(というより人類が、だろうか)それらをいかにコントロールするかに心を砕いてきたのか、を様々な事例を挙げて解明しようとしている。実に面白い。

※関連書→フレイザー「金枝篇」東京書籍、バタイユ「エロティシズム」二見書房、同「呪われた部分」二見書房、同「エロティシズムの歴史」哲学書房、「至高性」人文書院。

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02年1月28日

◆経済的危機と社会的不平等とをともに乗り越えるためには

貧困の克服 アジア発展の鍵は何か
アマルティア・セン著 集英社 640円 4-08-720127-9

1998年にノーベル経済学賞を受賞したセン教授の四つの講演論文を日本独自の編集で一冊にまとめたもの。彼の厚生経済学のすぐれた入門書ともなっている。論文を順に紹介すると、「危機を超えて:アジアのための発展戦略」はシンガポールでの1999年の「アジア・太平洋レクチャー」講演であり、アジアのこんにちの経済問題を過去の成功例と失敗例の検証からとらえなおし、発展のための新しい戦略を示唆している。「人権とアジア的価値」はニューヨークでの1997年の「カーネギー倫理・国際問題評議会」モーゲンソー記念講演で、権利をめぐるアジア思想とヨーロッパ思想の対比を通じ、文化的多様性を受け入れることの重要性を説いている。

「普遍的価値としての民主主義」はニューデリーでの1999年の「民主主義を構築する国際会議」講演で、世界各国における民主主義の経済的機能を概観し、文化的差異に左右されない民主主義の普遍的な長所を論じる。「なぜ人間の安全保障なのか」は東京での2000年の「人間の安全保障国際シンポジウム」基調講演であり、センが唱える「人間の安全保障」の概要を、平易に説明している。人間の「生存・生活・尊厳」の質を公正に発展させるためにはどうしたらいいのか。国際的な視点で公共政策を考えようとするセンの面目がここにある。小さいながら、再読三読に値する問題提起の書だ。

※インド出身の現代の代表的知識人→「ヴァンダナ・シヴァ」「ガヤトリ・スピヴァク」「ホミ・バーバ」


◆ドイツ・ロマン派の先達が綴る、若き日の「心の旅」の記録

ヘルダー旅日記
J.G.ヘルダー著 九州大学出版会 5800円 4-87378-709-2

18世紀ドイツ文学史において、ゲーテやシラーとならんで「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」期を生きた思想家であるヘルダーの、若き日(1769年)の日記である。1744年、東プロイセンに生まれた彼は、18歳の折、バルト海沿岸の港湾都市ケーニヒスベルク(現在はロシア共和国の飛び地州のカリーニングラード)に赴いてカントらに学んだ後、20歳の頃、沿岸を北東へ進み、商業都市リガ(現在のラトビア共和国の首都)で教職を得る。五年間の間に、教会の説教師をつとめるかたわら、著述家としてもデビュー。そんな彼の日記は「行き先はどこであれ、とにかく旅に出るのだ」という決意から始まる。自分の仕事と境遇に嫌気がさして、人生をリセットする船旅に出ていくのである。友に誘われて乗りこんだ船の行く先はフランス西部の河港都市ナント。ロワール川が大西洋に注ぎ込む河口に位置している。

彼の動機に起因するのだろうが、日記は旅先の景色を記述したものではなく、むしろ一貫して内省的な随筆となっている。教育論や文明批評、これから自分はいかに学んでいくべきか――。ヘルダーの若い感性からほとばしるホンネの瑞々しい鋭さが楽しめる。例えば、「フランス。この国の文学の時代は終わった。……モンテスキュー、ダランベール、ヴォルテール、ルソーのような人はもういない。フランス人は廃墟の上で暮らしている」という一節。これは、やがてロマン派の先達としてドイツの文学と思想を牽引することになるヘルダーの時代観を垣間見せるものだろう。旅を終えたのち、1772年に公刊された『言語起源論』(大修館書店/法政大学出版局、いずれも品切)はそうした彼の思想的マニフェストでもある。書物を散漫に多読することはやめて、自分でものを考える修練を積まなければ、という自戒で、日記は終わる。彼の内的旅程の出口を象徴する言葉である。

※ヘルダーのこのほかの著作→「世界の名著(38)ヘルダー/ゲーテ」中公バックス、「ドイツ・ロマン派全集(9)無限への憧憬:ドイツ・ロマン派の思想と芸術」
国書刊行会


◆ゴダールのライフワーク「映画史」を解読する十二の視線

ゴダール・映像・歴史 『映画史』を読む
四方田犬彦編 産業図書 2800円 4-7828-0141-6

ゴダールがほぼ十年の歳月をかけて完成させた、四時間半のヴィデオ大作『映画史』は、まず八九年に第一章が発表され、第四章までの全体像が九七年に公開された。ゴダールの強烈な個性的視点から再構成された、様々な映画の引用の織物である『映画史』は、数多くの評論家に注目され、さかんに論じられてきた。本書はこの作品をめぐるゴダール自身のエッセイやインタビューと、評論家や研究者による代表的な論考をおさめた、日本独自のアンソロジーである。『映画史』の手際よい要約に始まり、「歴史の詩学」「記憶の政治学」「映像の地政学」の三部のうちに、ゴダールの三つの発言を含む十二の論考とインタビューが配置される。映画には何が可能で何が不可能なのか。ゴダール的リミックスの妙味とそれにインスパイアされた仏・英・日の論客が交錯する、豊穣で刺激的な一冊となった。フィルム・スタディーズの大きな成果だ。なお、編者の四方田氏は同時期に『李香蘭と東アジア』(東京大学出版会)というアンソロジーも手がけている。

※ゴダールをめぐる様々なテクスト群→こちら


◆テクノロジーは音楽の人間的経験をいかに変容させていくか

ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック 拡散する〈音楽〉、解体する〈人間〉
久保田晃弘監修 大村書店 2800円 4-7563-2026-0

国内外のアーティストや評論家など二十名による、音楽(とりわけ「テクノ」と呼ばれるジャンル)とテクノロジーをめぐる発言と討論を集成した、スリリングなアンソロジーである。監修者自身による適切な説明を借りれば、本書は「テクノロジーと表現、テクノロジーと文化、さらにはテクノロジーと人間や社会の共時的・通時的な関係を、音楽をモデルとして横断的に探究すること」を目指している。二部構成のうち、第一部は、九八年秋に東京で開催されたシンポジウム「テクノカルチャー/ネットカルチャー」の記録を中心に編まれ、「テクノ(ロジー)の社会学」などをテーマにした二つのディスカッション(複数の基調報告とそれに続く討論から成る)がフィーチャーされるとともに、久保田晃弘らによる三つの論考が収められている。第二部は、椹木野衣や佐々木敦による力作論考を中心に、オヴァルのマーカス・ポップらの方法論/状況論を含む七つのテキストと対談一件が収録されている。きわめて実践的な文化研究の成果であり、本書なくしては今後の「テクノ(ロジー)」は語れないだろう。

※必読の関連書→佐々木敦「テクノイズ・マテリアリズム」青土社、カーティス・ローズ「コンピュータ音楽:歴史・テクノロジー・アート」東京電機大学出版局


◆1972年に行われた、ニーチェをめぐる討論会の熱気が伝わる論文集

ニーチェは、今日?
J.デリダほか著 筑摩書房 1300円 4-480-08679-X

マルクス、フロイトと並んで、戦後のフランス現代思想において熱心に読み返されたのがニーチェだ。ちくま学芸文庫はこれまで全集や研究書など、ニーチェ再読の機運を高めてきた功績があるが、本書もまた、その豊かな収穫のひとつとなるだろう。1972年夏にスリジー=ラ=サルで十日間にわたって開かれた、「ニーチェは、今日?」と題された討論会の大部の記録(原書では全二巻)から、四つの発表が選ばれ、一冊になった。デリダ「尖鋭筆鋒の問題」、ドゥルーズ「ノマドの思考」、リオタール「回帰と資本についてのノート」、クロソウスキー「悪循環」である。四人とももっとも注目される重要作を発表ないし執筆していた時期の仕事であり、単なるニーチェ論以上の輝かしい独創性に溢れている。三人の訳者がそれぞれ解説を書いており、各発表後に行われた討論の様子を随所に引用するなど、読み応えは充分だ。願わくば全発表が読みたいところ。続編を希望したい。


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