Notes on the Sand....or a Critique of Cultural Politics.  by Hiroshi Kobayashi


2002年2月に、bk1「人文レジ前」で取り上げた書目は以下の通りです。

02年2月5日

◆まっとうな分析もあれば、あきれたコメントもある。人さまざまだ

発言 米同時多発テロと23人の思想家たち
中山元編訳 朝日出版社 1600円 4-255-00141-3

掲載紙を見つけたり取り寄せたりすることがたいへんなうえ、外国語で読むしかなかった、世界の知識人たちの「テロ事件関連」のコメントが、読みやすい邦訳でまとめて読めるようになった。先だって『新しい戦争?』を刊行し、ウェブ上でも次々と情報を配信しつづけている気鋭の哲学者/翻訳者である中山元氏が、23人の発言を邦訳紹介。サイードやデリダのような真摯な思想家がいれば、ヴィリリオやアガンベンのような鋭い分析家がいる。ロイやラシュディなど、作家の怒りが胸に沁みる一方で、ローティやフィンケルクロートら、哲学者のあきれたコメントも読める。バランスのとれたセレクトだ。ジジェクやグリュックスマン、ベルクから寄せられたのは、オリジナルないしアップデートされたテクストである。各発言には中山氏による簡潔なイントロダクションと読書案内が付されている。「編訳者あとがき」にあるとおり、本書は「絶好の思考のレッスンになるだろう」。アクチュアルな本だが、根源的なテーマを扱っていることもあり、すぐれた現代思想入門としても広くお奨めしたい教養書だ。

※あわせてこちらもどうぞ→重富真一編「アジアは同時テロ・戦争をどう見たか:19ヵ国の新聞論調から」明石書店、「『環』Vol.8 特集「日米関係」再考」藤原書店


◆理想の裏側はあまりにも暗くおぞましく残酷だったことを忘れまい

共産主義黒書−犯罪・テロル・抑圧〈ソ連篇〉
ステファヌ・クルトワ/ニコラ・ヴェルト共著、恵雅堂出版

心底ぞっとした。体が凍りつくとはこのことだ。白書ならぬ「黒書(リーヴル・ノワール)」という表現が何を含意しているのかは、読み始めればたちどころに理解できるだろう。六名の著者のうちの一人の言葉を借りれば、本書は20世紀における「共産主義の犯罪的側面を国際的に分析しようとする試み」であり、1997年にフランスで出版され話題をさらった。原書は一巻本だが、邦訳ではソ連篇(本書)とコミンテルン・アジア篇(続刊)の二分冊に分かれる。これは、キワモノなどではない。今回出版された「ソ連篇」では、CNRS(フランス国立科学研究センター)の主任研究員であり、共産主義史のエキスパートであるステファヌ・クルトワ(1947-)による長文の「序」(クルトワは邦訳続刊に収録される「むすび」も書いている)と、ソビエト史の専門家ニコラ・ヴェルト(1950-)による第一部「人民に敵対する国家――ソ連における暴力、抑圧、テロル」が読める。ヴェルトのパートは原著の中でも圧巻の大論文だ。

台頭しつつある極右勢力による特権的で盲目的な左翼批判とは対極にある本書のスタンスは、共産主義陣営が自ら隠蔽してきた数々の人民虐殺の事実を冷徹に分析することにある。「歴史家にとっていかなるテーマもタブーではない」と述べるクルトワの試算によれば、20世紀における共産主義の暴力による犠牲者は約一億人にのぼる。つづくヴェルトは貴重な写真を交えながら、十月革命からスターリンの独裁前後にいたる「収容所群島」の真実を詳細に記述する。枯れ葉のような死体の横で人々があまりの腐臭に口元を押さえている写真を見たり、おびただしい「粛清」と絶え間ない「浄化」のあまりにも非人間的なエピソードを読んだりするのは、けっして楽しいことではない。しかしこれもすべて同じ人類がしたことなのだ。邦訳の完結が待望される、まさに戦慄の書である。なお、本書をめぐるホブズボームとフュレの論争は、雑誌「アステイオン」の第51号「特集:共産主義はファシズムか」で読むことができる。

※併読をお奨めします→ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」新潮文庫、同「廃墟のなかのロシア」草思社、ルフォール「余分な人間」未来社、メドヴェージェフ「10月革命」未来社、同「ロシアは資本主義になれるか?」現代思潮社、スターリン「スターリン極秘書簡」大月書店。


◆ナショナリズムをどう考えるか。この一冊で丸三年分の勉強ができる

ナショナリズム論の名著50
大沢真幸編 平凡社 3500円 4-582-45218-3

ナショナリズムが学者たちの議論の俎上に頻繁にのせられるようになったのは、ここ百年ほどの話であり、特に80年代からの研究成果には見るべきものが多い、と編者は述べる。欧米や日本における代表的なナショナリズム研究および関連書を50点紹介し、それらが呈示する問題圏の射程とその有効性を批判的に検討する、というのが本書の趣旨である。日本の思想界を代表する注目の若手から中堅・重鎮まで、35人が執筆陣(豪華!)に加わっており、もちろんすべて書き下ろし。単なるブックガイドというレベルを遥かに超える、充実の大冊である。邦訳近刊や未訳の文献が丁寧に解説されているし、参考文献も多数挙げられているので、この一冊で丸三年分の勉強になる。フィヒテやルナンの古典から、スピヴァクや酒井直樹の最近作まで、変容するナショナリズムを横断する刺激に満ちた海図が、ここに開かれる。編者の大澤真幸氏による『ナショナリズムの由来』が講談社から近刊予定であり、こちらも参照されたい。

※本書で取り上げられる書目の一部→ルナンほか『国民とは何か』インスクリプト、スミス『ネイションとエスニシティ』名古屋大学出版会、アンダーソン『想像の共同体』NTT出版、フジタニ『天皇のページェント』NHKブックス、イ・ヨンスク『「国語」という思想』岩波書店、吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学』名古屋大学出版会。


◆理想が幻想と化して無批判にならないために必要な視点

教育改革の幻想
苅谷剛彦著 筑摩書房 700円 4-480-05929-6

専門書ながら非常に良く売れている『知的複眼思考法』(講談社)や『階層化日本と教育危機』(有信堂高文社)など、近年注目作を立て続けに発表している教育社会学者による、待望の新書書き下ろし。戦後の日本社会でたえず重要視されてきた教育改革をめぐる卓抜な論考であり、これまでの改革の理想と現実を冷静に分析。近年とみに叫ばれている教育危機や学力低下論争と向き合うための新たな視座を提示した。「今の教育はまずい」とちまたでは聞くけれど、何が「まずい」のか。そもそも「今の教育」とはどのようなものか。数多くの統計データや、学校の現場の声、官僚の声を拾いながら、「ゆとり教育」「子ども中心主義」の理念の盲点を洗い、改革を前進させるための基本的認識のありようを丁寧に探る。幻想を批判することは改革に抵抗することではないし、「子ども中心主義」の再検討は実際は大人中心主義の見直しなのだ。教育の難しさに無関心でいることの危うさを教えてくれる良書である。

※教育を考えなおす→佐藤学編『教育本44』平凡社、藤田英典ほか編『変動社会のなかの教育・知識・権力』新曜社、東京大学教養学部進学情報センター運営委員会編『大学で学ぶということ 』学会センター関西。


◆砂漠の逃げ水のように無限に遠のいていく、知の「裏の裏の裏」

不可能な交換
ジャン・ボードリヤール著 紀伊国屋書店 1800円 4-314-00906-3

ボードリヤールはペシミストではない、と訳者は書いている。その通りだろう。しかし彼をとりわけペシミスティックに見せている、彼特有のスタイル――逆説に逆説を重ねるような知のズラし方は、1999年に原著が刊行された本書においても健在であり、テクストの流れ行く先はすでに哲学の枠を越えた一種詩的なエスプリである。置き換えや代用が不可能で、外部や他なるものや対を成す等価物のない、「人間的尺度の」閉じたサーキットと世界観のうちに、現代人は自縛されたまま住んでいる、と著者は示唆する。そして、いまや自らの社会システムに開いた不確実性の風穴にいかに人類が翻弄されつつあるかが、多面的に分析される。従来の人間的なるものの諸価値の根本的な変容と消滅。

ボードリヤールは三つのテオレマ(定理)を提起する。「世界は、謎めいた、理解できないものとして、われわれにあたえられた。思想の任務は、もし可能なら、世界をもっと謎めいた、もっと理解できないものにすることである」。「世界が事物の錯乱的な状態へと発展する以上、世界にたいして錯乱的な視点をとらなくてはならない」。「ゲームの参加者はゲームよりけっして大きくなれない。理論家も理論よりけっして大きくなれない。理論も世界そのものよりけっして大きくなれない」。不確実性と偶然という拡散するシェーマのただなかにおいて、これら三つのいわば「ボードリヤール・ループ」は、既成の知をズラしながら、果てもなく変容を繰り返す逆説的な円環の中に流刑されていくように見える。思惟の宿命とでも言うべき深層へ分け入っていくための水先案内である。

※ボードリヤールによる「911」事件へのコメント「テロリズムの精神」(2001年10月3日「ル・モンド紙」)を邦訳掲載→「『環』Vol.8 特集「日米関係」再考」藤原書店

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02年2月12日

◆「911」の前と後。ソンタグの胸中で揺れ動くものと不動のもの。

この時代に想う テロへの眼差し
スーザン・ソンタグ著 NTT出版 1900円 4-7571-4034-7

作家の仕事とは、「つねに複合的で曖昧な現実をまっとうに扱う」ことであり、「常套的な言辞や単純化と闘う」ことだ、とソンタグは序文で述べている。その気概が、「911」前後の時事的なテクストをまとめた日本独自のエッセイ集である本書には、あふれている。第一部では、「911」以後にニューヨーク、ドイツ、イタリアの各新聞に寄稿したテクストが集められており、第二部では、有名なボスニア内戦論(1993年)、大江健三郎との往復書簡(1999年)、戦争と写真をめぐるアムネスティ講演(2001年)、エルサレム賞受賞講演(2001年)が収録されている。もともとは数年前から編集企画が進められていたが、「911」を境に作業を急いだとのこと。時宜を得た出版であり、テロ事件関連の類書と比べてもソンタグの批評の特異な位置は、必読に値する。

特記すべきことのひとつは、彼女自身が言うように「911」以後の発言には「変わらない印象」と「何段階か揺れた悲嘆」が見られるという点である。事件から二日後の第一のテクストには、アメリカの世論や政治家の発言に対する明らかな不快感が読み取れる。ソンタグはこの一文によって国内で激しい非難に晒されるわけだが、一週間後の発言では、直裁的な反政府色よりも反テロの意識が前面に出始める。数週間後の発言においては、国内の画一的な世論や政府の対応を鋭く批評しつつ、報復や全面戦争は馬鹿げているが、軍事的な反テロ作戦は必要である、と説く。本書におけるその都度の彼女の立場はともすると複雑に見えるが、基本的に明快であり、一貫してもいる。現実に向き合うその真摯さには学ぶべきことが多い。本書は時系列に添って第二部から読み始めるのがいいだろう。

※併読をお奨めします→サイード『戦争とプロパガンダ』みすず書房、チョムスキー『9.11』文芸春秋、同『「ならず者国家」と新たな戦争』荒竹出版
※ここ十年間の様々な戦争と世界情勢を振り返るために→毎日ムック『新たな戦争』


◆いまどき「哲学」なのか? そうだ、いまだから、である。

現代哲学がわかる。  
朝日新聞社 1200円 4-02-274126-0

じつに既刊75点にものぼる好評のアエラ・ムック「わかる」シリーズだが、1998年の『哲学がわかる。』に続くひさしぶりの哲学特集である。実質的な続編もしくはアップデート版と考えていい。総括的な三つのエッセイである、加藤尚武「現代哲学への誘い」、黒崎政男「オプションなき未来哲学」、木田元「現代哲学の潮流」をはじめ、二つのブロックに分かれる啓蒙的解説――フロイトからデリダにいたる「現代哲学の13人」についてと、カルチュラル・スタディーズから生命科学までの15の大きなキーワードを扱う「21世紀テーマ」について――があり、恒例の小キーワード解説や50点の基本書ブックガイド、「哲学講座のある主な大学・大学院案内、哲学関連ホームページ」の紹介など、サービス満点である。今回フィーチャーされている小特集は「〈私〉をめぐる哲学」。中島義道、斎藤環、高橋哲哉ら七人の論客が、日常に潜む「答えのない問い」を平明に簡潔に解きほぐしている。カタログ的な使い勝手がいい。この本の向こうにある膨大な情報の海へ飛び込むためのポータル的入門キットとして、特に若い読者に奨めたい。

※便利です→『現代思想フォーカス88』新書館、『現代思想のキーワード』青土社、『コンサイス20世紀思想事典・第二版』三省堂


◆入魂の一冊。初訳の詩篇、小説、論文を含む決定版

マンデリシュターム読本
中平耀著 群像社 3000円 4-905821-09-6

オシップ・マンデリシュターム(1891-1938)はワルシャワでユダヤ人の中流商人の家庭に生まれた。「銀の時代」と呼ばれた、20世紀初頭の20年のロシアにおける文化的興隆期を代表する詩人の一人である。本書は、そのマンデリシュタームの生涯を百余篇にのぼる詩の翻訳を交えて同時代史的に記述した労作である。先行する文芸の遺産のまっとうな継承者たらんとした「アクメイズム」運動(同時代の「未来派」とは対照的だ)の、1912年の宣言書や、シュルレアリスム風の奇想小説「エジプト・マーク」(1927年)、彼自身の詩論でもある長文の「ダンテについての会話」(1933年)も収録している。ダンテ論は『神曲』について、特に「地獄篇」を中心に論じたもので、必読である。

彼はスターリンの独裁をあからさまに中傷した激越な詩篇(本書で邦訳が読める)を咎められ、シベリアの流刑地で非業の死を遂げる。逮捕されてから粛清されるまでの道程は悲惨極まりないが、本書の圧巻を成している。収容所での非人間的扱いや、死ぬ直前に書いたみせかけのスターリン賛歌、そして、パステルナークがスターリンから「君は友人を弁護しないのか」と繰り返し訊ねられて、答えに窮するエピソードなど、戦慄という以上の地獄を見る気がする。本書は、ロシア文学史の暗黒面を知るうえでも非常にすぐれた評伝となっており、胸揺さぶる出色の入魂作である。マンデリシュタームを知る人も知らない人も、ともに堪能できるだろう。

※マンデリシュターム研究の本格派→鈴木正美『言葉の建築術』群像社


◆善悪の峻別をうながし、生きる道を指し示すものとしての「法」

ヤージュニャヴァルキヤ法典
井狩弥介訳注 平凡社 3000円 4-582-80698-8

およそ六世紀頃に成立したとされる古代ヒンドゥー社会のコンパクトな法典であり、二世紀頃に最終編纂されたと見られている長大な『マヌ法典』(中公文庫)と並ぶ古典。およそ半世紀前(1950年)に中野義照による翻訳と研究が刊行されて以来の壮挙である。神話と道徳、信仰と法律が渾然一体となったこの古典は、もともとは三巻に分かれる。第一巻は「行動の準則」であり、胎児の折から(!)結婚するまでの時期の生き方、結婚の仕方や身分についての知識、家長の生き方、王の生き方が示される。第二巻は「訴訟」について書かれ、裁定者や裁判の心得と、簡潔で具体的な法令集が述べられている。第三巻「罪の除去」は、浄不浄にかんする信仰課目と宗教儀礼、また、精神的肉体的修養についてやアートマン論などが語られている。

『マヌ法典』の五分の二以下というコンパクトな分量によるものか、後世に数多くの注釈書が残った。無味で空疎な感じがまったくないどころか、非常に楽しんで読める。先人たちの倫理観の明晰さや特異性、宇宙観と密接に関連している生き生きとした法体系が、鮮やかな印象を残す。例えば第三巻にある、隠遁者(林住者と遍歴者)の生き方を述べたくだり。いわく、「村から八口分の食物をもらってきて、言葉を慎んで食すべし。あるいは風を食し、肉体が消滅するまで東北に歩むべし」。詳細な訳注と丁寧な解説もさることながら、やはり本文が面白い。

※古代インドの世界→『ラーマーヤナ』平凡社、『マハーバーラタ』ちくま学芸文庫/第三文明社/三一書房、『ニティサーラ』平凡社、『占術大集成(ブリハット・サンヒター)』平凡社、『ヒンドゥー教の聖典二篇』平凡社

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02年2月18日

◆アラブ系知識人から見た「9.11」をめぐる政治力学の愚かしさ

戦争とプロパガンダ
E.W.サイード著 みすず書房 1500円 4-622-03681-9

アメリカを代表する批評家による「9.11」前後の発言八篇を集めたもので、日本独自の編集である。サイードは主にアラブ系の新聞を媒体に精力的に書いてきた。事件直前にパレスチナ-イスラエル問題(特にイスラエルによる不当な軍事的占拠の問題)を論じた「プロパガンダと戦争」にはじまり、事件直後から年末までの論説とインタビューが続く。事件から五日後、イギリスの新聞で彼は「いま必要なのは、さらにドラムを叩いて戦意を高揚させることではなく、この状況を理性的に理解することだ」と、ブッシュ政権に警告を発している。以後も継続して、イスラームと西洋との「文明の衝突」という不適切な対立図式に反論し、アメリカ世論の逸脱とマスコミのあくどさを分析しつつ、「テロとの戦い」という政治的レトリックがパレスチナ-イスラエル情勢でも応用されているさまを告発する。サイードの独自の視点が日本人に教えることは多い。特にアメリカとアラブ諸国との力関係について、彼自身の言葉を借りるなら「自殺的な無知」から、日本人もまた脱しなければならないだろう。

※サイード自身の原体験を読む→『遠い場所の記憶』みすず書房


◆「麻薬地政学」から見た国際社会の複雑で暗いつながりの実態

麻薬と紛争 麻薬の戦略地政学
アラン・ラブルースほか著 三和書籍 2400円 4-916037-42-1

地球規模のネットワークを有する麻薬の流通と密売について研究することは、国家の地政学的戦略の失敗を研究することであり、無秩序な国際関係と政治的混乱を分析することだ。そう本書の著者たちは教える。「麻薬にとっての空間とは、地理的にせよ、経済的にせよ、政治的にせよ、細分化され、争われ、流動的であるべきで、決して固定化されてはならない」のであり、それらの空間はしばしば兵器市場と相互浸透する重大な「利権」を操る犯罪の巣窟ともなり、少数民族の疎外と貧困が利用され、紛争が絶えない。本書は、ビルマ(ミャンマー)、ペルー、アフガニスタン、アルバニア、チェチェン、コロンビア、ナイジェリアなどの地域研究を通じ、国家や犯罪組織と麻薬との関係、麻薬と戦争の連環を冷徹に解明する。密売の世界地図におけるアメリカの介入戦略についても論及している。著者二名はいずれも麻薬事情に詳しい、フランスの社会学者と民族学者。麻薬問題の国際的動向について補足した訳者の長文解説や、戦前にまで遡る和洋の文献目録、麻薬関連年表など、コンパクトな一冊に情報が詰まっている。

※関連書→石井陽一『麻薬戦争』創樹社、ルーポ『マフィアの歴史』白水社


◆キーワード解説と基本図書紹介で読み解く近現代日本の百年間

20世紀日本の思想
成田竜一ほか編 作品社 2000円 4-87893-450-6

思想読本「知の攻略」シリーズの第五作。20世紀の日本を五つの時代区分(1901-1930、1931-1945、1945-1959、1960-1979、1980-2000)に分け、それぞれに短文の時代概説を付し、各時期を特徴づけるキーワードを論じた小論に、基本図書の紹介を添えている。キーワードは「知識人」から「グローバリゼーション」まで全二十五項目、解説されている基本図書は六十数点にのぼる。直近の百年間をどう記述し、読み解くか。いくつかの有効な視点を打ち出した本書は、若い読者にとって手頃なガイドブックとなろう。執筆に参加した二十七名はいずれも第一線の研究者であり、おのおのの解説や紹介文は簡潔で、ごく短時間のうちに読みきれる利便性も兼ね備えている。編者の成田龍一氏と吉見俊哉氏による冒頭の対談は、「近代日本の形成と解体」と題され、戦後に刊行された数々の日本思想概論を俯瞰しつつ、天皇制やナショナリズム、差別問題や近代化論といった本書の幾つかの稜線を導入する。巻末には基本図書の年表と書名索引。「とりあえず何か入門書がほしい」という読者にお奨めしたい一冊である。

※関連書→鹿野政直『近代日本思想案内』岩波文庫、小田切秀雄編『ベストガイド日本の名著』自由国民社、桑原武夫編『日本の名著』中公新書


◆ユダヤ人大虐殺を知識人はいかに考え、語ってきたか

アウシュヴィッツと知識人 歴史の断絶を考える
エンツォ・トラヴェルソ著 岩波書店 3400円 4-00-022006-3

『ユダヤ人とドイツ』(法政大学出版局)、『マルクス主義者とユダヤ問題』(人文書院)など、一連のユダヤ研究が有名な歴史家で、フランスに帰化したイタリア人社会学者であるトラヴェルソが1997年にフランスで出版した本書は、アーレント、ギュンター・アンダース、アドルノ、ツェラン、アメリー、プリーモ・レーヴィ、ドワイト・マクドナルド、サルトルら、絶滅収容所の同時代を生きた知識人たちが、ユダヤ人大虐殺とどのように向き合い、書き綴ってきたのかを類型的総括的に紹介した、明晰な基本的研究書である(ちなみにマクドナルドとサルトルを除き、詳述されている対象はみなユダヤ人であり、亡命者か生き残りだ)。前史における先見的洞察者として、マックス・ウェーバー、カフカ、ベンヤミンの三人にも言及している。人類の断絶あるいは歴史の裂け目としてのアウシュヴィッツを、現代の哲学者・思想家たちの議論を随所に織り込みつつ考察・分析。非常によくまとまった本である。2001年11月に書かれた「日本語版への序文」は、「9.11」についても言及しており、啓発的だ。

※関連書→アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』月曜社、ヴィダル=ナケ『記憶の暗殺者たち』人文書院、ヒルバーグ『記憶』柏書房

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02年2月24日

◆テロリズムの過去・現在・未来を解説した基本文献

大量殺戮兵器を持った狂信者たち ニューテロリズムの衝撃
ウォルター・ラカー著 朝日新聞社 1900円 4-02-257711-8

1999年に刊行された原著のタイトルは「新しいテロリズム:狂信と大量破壊兵器」という。著者はファシズムやユダヤ人問題に詳しい著名な現代史家。多様化しつつあるテロリズムの脅威と実態について概説した本書は、テロの歴史を整理し、宗教テロ、国家テロ、民族テロ、麻薬テロなどを分類、それらの動機と手段の変遷に分析を加えている。こんにちのテロはますます残虐化し、無差別大量殺戮が増えているが、著者は今後事態はさらにいっそう深刻になるだろうと予言している。テロへの怒りをこめて書かれた日本語版序文「九月十一日以後」では、本書での予測が早期に実現してしまったと言える例の事件を痛烈に非難している。彼にとっての問題とは、「テロが起きたらどうするのか」ではなく、「テロをいかに未然にふせぐか」ということである。生物化学兵器や細菌兵器を使用するテロ、サイバーテロ、核兵器テロなどの危険性と標的について論じ、「ハイテク時代の狂気と大量破壊兵器が結びついた先にあるのは――想像を絶するメガテロリズムにちがいない」と述べた本書は、狂信的テロへの容赦ない告発の書である。ラカー流の整理とテロリスト像には賛否もあろうが、現代におけるテロの脅威の概要を知るためには欠かせない一冊となるだろう。

※「911」をめぐる新たな視点→巽孝之『リンカーンの世紀』青土社、辺見庸+坂本龍一『反定義』朝日新聞社


◆ポルノと性暴力に反対する公民権確立のために。日本独自の論文集

ポルノグラフィと性差別
キャサリン・マッキノンほか著 青木書店 2900円 4-250-20200-3

アメリカにおけるフェミニズムの代表的論客であるドウォーキンとマッキノンによる四つのテクストを日本独自の編集でまとめた一冊。共著論考「ポルノグラフィと公民権」、ドウォーキン論文「男の洪水に抗して」、マッキノン論文「性差別とポルノグラフィ」、共同声明「ポルノグラフィに対する法的アプローチとカナダ税関に関する声明」の四編である。彼女たちが提唱する「反ポルノグラフィ公民権」とは、ポルノ産業が垂れ流す、女性の人権を無視したさまざまな「表現」(その対象は女性ばかりではなく、あるいは子供であったり男性であったりもする)や、それに刺激された性暴力犯罪に対して断乎反対するものである。表現の自由という美名のもとに、ポルノによる人権侵害や名誉毀損、性暴力を容認することはできない。ポルノをめぐる犯罪を取り締まる条例の制定に向けて、彼女たちが80年代後半に提起した問題設定と分析は、いまなお多くの示唆に富んでいる。ポルノというやむことのない「パブリック・レイプ」を解明し、被害者を法的に救済することを目指した本書の意義は、薄れるどころか増しているといえよう。マッキノンによる「日本語版序文」(2001年12月10日付)でもそれは明らかだ。必読である。

※セクシュアリティを考えるために→杉田聡『男権主義的セクシュアリティ』青木書店、ストルテンバーグ『男であることを拒否する』勁草書房、ライト編『フェミニズムと精神分析事典』多賀出版、荻野美穂『ジェンダー化される身体』勁草書房、江原由美子『自己決定権とジェンダー』岩波書店


◆自由と平等と無償性。近代教育論の原点がここにある

フランス革命期の公教育論
コンドルセほか著 岩波書店 860円 4-00-337011-2

アンシャン・レジーム下における教育機関の神学的閉鎖性を打ち破る端緒となったフランス革命は、特権的「知」への民衆の屈従を廃棄し、自由と平等の名のもとに新しい教育を創設して、すべての国民にその恩恵にあずかる機会を与えるという大義を生んだ。教育改革は国民改革でもあった。権力に対し理性的な批判能力を備えた市民を育てるための「知育」を主張したコンドルセ、愛国心と規律・労働を重視したルペルティエ、道徳心をはぐくむことが社会の安定を生むと論じたサン=テチエンヌ、知育と徳育の結合を説くロムなど、十八篇の報告や法案・条例が収録されている。初等・中等・高等といったシステマティックな学校制度の議論もなされており、こんにちの教育の基礎がこの時代(18世紀後半)に確立されていったことがわかる。革命前夜、多くの教会関連機関が消滅していく未曾有の教育危機において、さまざまな模索と討議があったわけだ。それらはいまなお新鮮に読める。教育の起源と根源について再考するための絶好の基本図書だろう。巻末に地図、年表、人物略伝を付す。

※併読をお奨めします→アリエス『〈子供〉の誕生』みすず書房、『「教育」の誕生』藤原書店


◆トピックごとに豊富な読書案内が。最良の実践的入門書

カルチュラル・スタディーズへの招待
本橋哲也著 大修館書店 2300円 4-469-21270-9

90年代後半からの、現代思想におけるカルチュラル・スタディーズ(CSと略す)の「流行」には早くもバッシングの風が吹き始めているが、そうした「流行」や亜流の一過性に巻き込まれずに、CSについて基本的なことを学びたいという読者には、本書をお奨めしたい。これまでも入門書はいくつか出ているが、面倒見のいい教科書としてはこの本がベストだろう。他者と文化、言語と権力、メディアやヴァーチャル・リアリティ、都市と消費、スポーツとナショナリズム、漫画と知識人、性と弱者、民族や歴史といったテーマごとに章が立てられ、鍵概念を解説する「キーワード」、参照事項を紹介する「ブック」「パーソン」「フィルム」、CSを実践的に考えるための練習問題「トライアル」、個別のトピックに注意をうながす「ノート」などが、随所に挟み込まれている。章ごとに参考すべき書目を系統的に掲げたリストも付されており、CSの問題圏のひろがりが見えてくる。「自分はどんな世界に生きているのか」、変化しつづける文化のダイナミズムをいかに認識し、自由な知を得ることができるか、ヒントがぎっしり詰まった好著である。

※代表的なCS入門書→ターナー『カルチュラル・スタディーズ入門』作品社、吉見俊哉編『カルチュラル・スタディーズ』講談社メチエ、上野俊哉+毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』ちくま新書


◆注目の若手作家らによる反同人誌『重力』が創刊

重力 01
「重力」編集会議編著 「重力」編集会議 青山出版社(発売) 1800円 4-89998-032-9

『早稲田文学』編集主幹の市川真人、シナリオ作家/映画監督の井土紀州、批評家の大杉重男、戯曲作家の可能涼介、批評家の鎌田哲哉、経済学者の西部忠、詩人の松本圭二ら、七人が十万円ずつを出し合い、西部氏の説明によれば「企画立案から討議、執筆、編集、販売にいたるまですべて参加者の協業と分業によってできあがった」という新しい雑誌である。広告は一切なく、書籍形態をとる。さまざまなジャンルの書き手が横断的に集い、従来の同人誌的な馴れ合いや商業誌的な束縛とは別の、言論の「場」をつくろうという試みであり、その試行錯誤は巻頭にある発刊討議「『重力』は何をしようとしているのか?」でも詳細に述べられている。既成の雑誌や同人誌に関わってきた、批評家のスガ(糸へんに圭)秀実や、『批評空間』編集発行人の内藤裕治、作家の古井由吉らへのインタビューも掲載されており、文壇論壇を取り巻く過去と現在の状況が垣間見える。参加者たちによるそれぞれの書き下ろしが本号のメインではあるが、一方で、雑誌をいかに立ち上げるか、その諸前提を真摯に自覚し、綿密に検討しようという、いわば通例は読者にくわしく公開されることのないバックグラウンドをも露呈させている点がユニーク。作家の社会的立場や作家と読者との関係性を再審するという点においても、類例のない創刊号になったと言える。


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