Notes on the Sand....or a Critique of Cultural Politics.  by Hiroshi Kobayashi


2002年5月に、bk1「人文レジ前」で取り上げた書目は以下の通りです。

02年5月6日

◆硬派の論客がユーモアたっぷりにアイルランドの素顔を描く

とびきり可笑しなアイルランド百科
テリー・イーグルトン著; 筑摩書房; 1900円; 4-480-85768-0

「とびきり」シリーズ第5弾は、イギリスを代表するマルクス主義批評の論客の登場だ。イーグルトンである。1999年に刊行された原書のタイトルは「アイルランド人の真実」。いくらなんでも書き手は硬派の看板だし、これまで『表象のアイルランド』(紀伊國屋書店)や『聖人と学者の国』(平凡社)など、すぐれたアイルランド文化論を書いてきた先例があるのだから、今回の邦題は行き過ぎなのでは、と眉をひそめる向きもあるかもしれない。しかし、実際本書を手にとって見れば、いかにイーグルトンがユーモアたっぷりの毒舌で、美化された観光用の「アイルランド像」ではなく、原タイトルにある通りのありのままの「真実」を描写しているかが、すぐにわかるだろう。事典風にAからZまでの96の項目で、アイルランドの文化、習俗、政治、著名人について、時に愛情を込め、時にはまさにおもしろ「可笑し」く、親しみやすく論評している。難解な彼の他の研究書に比べても、存分に楽しめる出来だ。二、三の例を挙げるとこんな感じ――「神(God)」の項目では、「アイルランドでは驚くほど人気のある存在で、ロック・グループのU2のリード・シンガーであるボノの次の地位にある」と来る。作家の「ジョイス(Joyce)」は「アイルランドの主産業のひとつで、Tシャツ、夏季留学、パブのはしご、種々のがらくたなどと並ぶものである」と容赦ない。「北アイルランド(Nothern Ireland)」では、「アイルランドでもっとも熱いジャガイモ。北アイルランドと呼ぶだけでも、論争が巻き起こる」。いわゆる『悪魔の辞典』風なブラック・ユーモアに終始するわけではなく、イーグルトンらしい鋭い筆致で、文化政治学の機知をたっぷり盛り込んである。どこから読んでも自由だが、A(アルコール)からZ(ダブリン動物園)までの巧妙な筋立てを追うのもいい。外人向けに書かれてあるので、旅行者の気晴らしにも役立つに違いない。

※「アイルランド」を読む→こちら


◆特別な知識の中にではなく、日常的実践の中に哲学がある

暮らしの哲学 気楽にできる101の方法
ロジェ=ポル・ドロワ著 工藤妙子(くどう・たえこ)訳 ソニー・マガジンズ
本体1400円  4-7897-1839-5 / 2002.03

長年「ル・モンド」紙に定期的に寄稿している、すぐれた批評家としても著名な現代フランスの哲学者が書いた、「日常生活の中でできる簡単な哲学実践法」101例の指南書である。哲学入門書や自称「哲学」本はあまたあるが、本書のエスプリは一味違う。「寝ころんで星空を眺める」「録音した自分の声を聞く」「ひざまずいて電話帳を音読する」――すると、どうなるか? ありふれた毎日をあらためて見直し、利き直し、触れ直すきっかけとなるヒントが本書にはぎっしり詰まっている。哲学とは古ぼけた注釈なのではなく、生きる日々の時の流れのうちに見出されるものなのだ。それをさりげなく、けっして高飛車にならず、「こんな発見ができるかもよ」と教えてくれる。感心したり、同意したり、笑いが止まらなかったりだ。それぞれに短めの解説的なエッセイが付されているほか、所要時間、用意するもの、効果、といったポイントも添えられている。例えば46番「森を散歩する」は「所要時間:2、3時間数分。用意するもの:森。効果:魂が裏返る」とある。なぜ裏返るかというと……それは解説を読んでのお楽しみ。本書を読んでふと気づかされるのは、哲学というのは自発的な行動から生まれてくるのだな、ということ。自発的な行動が思いがけない結果をもたらすことも確かにあるけれども、日常に押し流されて自分なりに「世界の意味」を実感することを見失っている現代人には、こうした自発性こそ、真新しい発見になるのではなかろうか。易しく書かれている本だが、これは自分が感受性を持っているかどうか、そして感じたものを通じて自分で考えることのできる一人前の大人であるかどうかを確認できる本でもある。

※ドロワの論考やインタビューが読める→『ミシェル・フーコー思考集成(V)』筑摩書房、『ヒト・クローン 未来への対話』青土社
※近刊:ドロワの主著『虚無の信仰:西欧はなぜ仏教を怖れたか』トランスビュー


◆よーし読んでやろうじゃないか、と思わせる絶妙のブックガイド

必読書150
柄谷行人ほか著; 太田出版; 1200円; 4-87233-656-9

オビに「これを読まなければサルである」とある。これは柄谷行人の序文からのパラフレーズで、柄谷は正しくはこう書いている、「われわれは今、教養主義を復活させようとしているのではない。現実に立ち向かうために「教養」がいるのだ。カントもマルクスもフロイトも読んでいないで、何ができるというのか。わかりきった話である。われわれはサルにもわかる本を出すことはしない。単にこのリストにある程度の本を読んでいないような者はサルである、というだけである」。かくして日本人の大多数は「サル」であるということになるが、自分もどうせ「サル」だ、「サル」でけっこう、何が悪い、とスネてみてもしょうがない。本書で紹介された古今東西の思想・文学の古典をすべて読んだからといって、まっとうな「人間」になれるわけでもない。そういう議論は本書の意図からもっとも遠いだろう。読みながら現代社会の諸々の「現実に立ち向かう」こと、そうした実践と血肉化が求められているわけで、読む行為の深さと反復性が問われているのだ。もちろん「何を読むか」が重要なわけで、厳選された150点の名著が列挙される。じっさいどれも有名な書物で、よくぞ思い切って150点に絞ったなと感心。柄谷行人、浅田彰、岡崎乾二郎、奥泉光、島田雅彦、スガ(糸へんに圭)秀実、渡辺直己らがそれぞれの古典作品への招待ともいうべき短いコメントを寄せている。人によって、あるいは書目によって、それらの質はまちまちだが、このコメントを見て「本を読んだ」気にはならない(なるべきではない)ので、読者はそれぞれ虚心に原典と向き合うといい。巻末の参考テクスト70点とあわせて、合計240点。読めば必ず得るものがある、と保証されているわけで、老いも若きも大いに征服感に燃えて挑戦して損はない。近畿大学国際人文科学研究所サブテクストにも指定されている、挑発的ブックガイドだ。

※その上でこの本もやはり読んでおきたい→柄谷行人『トランスクリティーク』批評空間


◆迷宮のように林立する、名著700巻へのナヴィゲーター

東洋文庫ガイドブック
平凡社東洋文庫編集部編; 平凡社; 1500円; 019; 02019356; 4-582-83713-1

まずは巻頭に掲げられた、東洋文庫編集部による「はじめに」の一節から。「少数派の人々による「古典の宝庫」という評価とそれに見合った権高なラインナップ、奇特な本屋さんの奥深くの棚に潜むという棲息状況、「文庫」のくせに高定価という名称の語義矛盾、箱入り布クロス金箔押し角背のいかめしい外見、購読することはおろか、なまなかな読者には手にとってみることが、あるいは一生のうち一度でも目にすることすらむずかしい……、とまでささやかれてきた叢書・平凡社東洋文庫が、1963年の創刊以来、700巻を超えました」。いやはや、これは自虐などではない。日本の出版界で無二の偉業を地道に成し遂げてきた幸運を如実に語っている言葉である。本書は12人の識者による12通りの切り口で東洋文庫を再紹介したブックガイドだ。さすがに既刊をすべて所有している読者はめったにいないだろうし、どんな書目があるのかもよくは知られていないだろう。巻末の解説目録とあわせて通覧すると、なるほど実に豊穣な一大集成であり、雄大にそびえる高峰をふいに間近に見るが如き、ゾクリとさせる感動がある。幼い頃、絵本で読んだ記憶がかすかにある民話の原典、学生の頃、歴史の教科書でしか見たことのない高名な書目、いままでまったく聞いたこともないような未知なる書物、呪文のような書名だけれど魅力的な名著、奇書のオンパレード。12の「探検」をひもときながら、気になるタイトルにチェックを入れてみよう。そして思い切ってたとえば5点、まとめ買いしてみるといい。それぞれが高価な本だから、高尚なギャンブルになるだろう。はてさてどんな本なのやら、スリル満点の読書へと誘ってくれる必携のガイドだ。

※「東洋文庫」既刊書より→こちら

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02年5月13日

◆ケルト美術とキリスト教写本の融合による驚愕の聖書マンダラ

ケルズの書
バーナード・ミーハン著 創元社 3200円 4-422-23018-2

かのジェイムズ・ジョイスが最上の書物として崇めた「ケルズの書」は、福音書の写本の中でもとりわけ異彩を放つ装飾で知られる。ヨーロッパの先住民族であるケルト文化とキリスト教が融合を果たし、大陸の写本と比べて独創的な装飾と表現をもたらした。日本ではほとんどその中身については知られてこなかったが、本書はフルカラーでこのアイルランドの至宝「ケルズの書」の豪奢なページを紹介している。ヴェラム(子牛の皮)に色とりどりの筆で細やかに描かれた様々な象徴が織り成す宇宙は、圧倒的だ。植物と動物、使徒と怪獣と天使、そして神が、たがいにつながりあって、聖書の世界を荘厳する。それ自体が神獣のようにうねる装飾文字や、無限に絡み合う組紐文様、無限に運動する渦巻きなど、跳梁する多様なイメージが、めまいを誘う。四福音書の書記者たちの神々しさといったらどうだろう。8世紀末頃に成立したという「ケルズの書」を見ることができた幸運な信徒は、まさに奇跡を目の当たりにする思いがしたろう。当時、一冊の写本は一領地とも等価なほど、貴重な宝物だったのだ。豊富な図版と丁寧な解説でこの写本の戦慄的魅力を雄弁に語る、本邦初のガイドブックである。訳者の鶴岡真弓氏による数々のケルト文化論とともにひもときたい。

※12世紀の司祭による「ケルズの書」への言及→『アイルランド地誌』青土社


◆世界的宗教学者たちの36編の小論文を収めた贅沢な「読む事典」

エリアーデ・オカルト事典
ミルチャ・エリアーデ主編; 法蔵館; 8000円; 4-8318-7031-5

ルーマニア生まれの偉大な宗教学者エリアーデによる金字塔といえば、晩年作『世界宗教史』(全4巻。ちくま学芸文庫では全8分冊で刊行)が有名だが、彼の編纂による『宗教百科辞典』(全16巻、マクミラン社、未訳)もまた有名である。本書はその百科辞典からオカルティズムにかんする36項目を選んで一冊にまとめたもの。原題は「隠された真理:魔術、錬金術、オカルト」。オカルトとはもともとラテン語で、「隠れたもの」を意味し、現代的ないわゆる「超常現象」とはいささか趣を異にする。「真理」を意味するギリシア語「アレーテイア」が「覆いを取られたもの」という原義を有することを踏まえると、本書の原題は、オカルトとは「隠れたままの真理」を意味する、ということを示しているわけである。エリアーデをはじめ、K・ルドルフやJ・B・ラッセルら31名の碩学が、「オカルティズム」、「呪術・魔術」、「道具・技法・霊力」、「錬金術」の四部に振り分けられた項目ごとに、古今東西にわたる豊富な知識と整理された議論を開陳する。事典なのに36項目しかないのかと思われるかもしれないが、それぞれを小論文として独立させている「大項目主義」が、本書の特徴。引く事典ではなく、読む事典なのだ。たとえば「呪文」の項目は、呪文の条件、音声とことばの力、宗教史における呪文という三つの節に分かれ、第三節目はさらに、エジプト、メソポタミア、ギリシア、中世ヨーロッパ、スーダン、インド、中国、メソアメリカ、現代の呪文、といった記述に細分化される。各項目ごとに文献ガイドも充実しており、なるほどエリアーデの名を冠するだけはある。

※関連書目→ナタフ『オカルティズム事典』三交社、レヴィ『魔術の歴史』人文書院


◆男性中心の神学的時空を貫通する雷光の如き未聞の大冊

女性の神秘家(中世思想原典集成 15)
上智大学中世思想研究所 冨原眞弓=編、10000円、2002.04、ISBN4-582-73425-1

驚異的な一巻である。12〜15世紀の代表的な女性神秘思想家17名の著作を集成、ほとんどすべてが本邦初訳だ。ビンゲンのヒルデガルトによる『スキヴィアス(道を知れ)』の抄訳や、マクデブルクのメヒティルトによる『神性の流れる光』の新訳をはじめ、現代風に言えば神とダイレクトに「コンタクト」した修道女たちのめくるめく幻視譚を一望できる。18編収められたテクストの中には、男性司祭によって書かれたという『隠遁修道女戒律』もあるが、そのほかはドイツ、ベルギー、スウェーデン、イタリア、フランス、イギリスといった多彩な出身地をもつ女性たちの著作である。ある者は諸学芸を極めた英才で、ある者は予知能力の持ち主、またある者は王や教皇もその発言を無視し得ぬ「神の代弁者」だった。生前より聖人と仰がれた者もいれば、異端視されて火刑された者もいる。修道院で生涯を過ごした者や、在俗の神秘家もいる。中世思想原典集成のシリーズ中、紅一点である本書に特徴的なのは、神への恋愛にも似た運命的な情熱だと言えようか。法悦とともに降臨するヴィジョンは、時にすさまじいイマジネーションの奔流となる。「(ミサのさなかに)私は霊に引き込まれて忘我状態になった。そこで私は、大きく広く、高く、完徳で飾られた町を見た。町の中央には、たえず開き、秘密のうちに再び閉じる円盤があり、その上に誰かが腰かけていた。その人はじっと静かに坐っていたが、円盤の内部では、神が想像を絶する速さで回転し続けていた」。これは13世紀を生きた、アントワープ出身のハデウェイヒによる幻視のほんの一部分である。彼女たちの召命譚は今も生々しい。

※『中世思想原典集成』既刊書は→こちら

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02年5月20日

◆グローバリゼーションの支柱を一刀両断する痛烈なパンフレット

WTO徹底批判!
スーザン・ジョージ著 杉村昌昭(すぎむら・まさあき)訳 作品社
本体1300円 4-87893-474-3 / 2002.04 

スーザン・ジョージといえば『いかにして世界の半分が死ぬか』(『なぜ世界の半
分が飢えるのか』朝日新聞社)や『ルガノ・レポート』(『グローバル市場経済生き残り戦略』朝日新聞社)など、切れ味抜群の世界資本主義システム批判で知られるが、その彼女がWTO(世界貿易機関)の「行き過ぎ」について容赦ない追及の筆を執ったのが、昨年(2001年)パリで刊行された本書だ。彼女は「アタック」という団体を代弁する立場で本書を書いた。「アタック」は「市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション」の略称で、フランスや日本などで反グローバリゼーションの市民運動を展開している。本書が主張する「反グローバリゼーション」とは、超国家的企業の利益がすべてに優先されることへの抗議である。WTOの機能はそうした利益優先主義を結果的に助長しているのだが、ジョージはWTO支配下のグローバリゼーションが世界各国にどのような危機をもたらしつつあるかを鋭く分析している。

WTOは国際的な自由貿易の公正的促進を図るべく様々な規制や基準を設けたり、時には裁判権をも行使できるのだが、いまや世界に対して巧妙な弱肉強食の論理を押し付けるに至っている。WTOとそれに支えられたグローバリゼーションの驚異的な正体が本書で明らかになる。原書にはない、著者による補論や市民運動家の佐久間智子による解説も付されている。フィクションよりも奇異な現実(市民には隠されている真実)が暴かれるのを目の当たりにした読者は、深い戦慄に襲われるだろうが、日本語版序文にある著者の勇気ある希望の宣言を忘れてはなるまい――《われわれは手をたずさえて、金銭だけが至上の価値であることを押しつけてくる「グローバリゼーションに対して、「もうひとつの世界は可能だ」という標語を掲げながら立ち向かっていこうではありませんか》。

※併読をお奨めします→ネグリ『構成的権力』松籟社、ガタリ『三つのエコロジー』大村書店、ブレッカーほか『世界を取り戻せ』インパクト出版会、ボヴェほか『地球は売り物じゃない!』紀伊国屋書店、市民フォーラム2001編『徹底討論WTO』現代企画室、同編『WTOが世界を変える?』現代企画室、パブリック・シティズン『誰のためのWTOか?』緑風出版、『反グローバリゼーション民衆運動』柘植書房新社

◆NATO軍のコソボ空爆の背景とアメリカ的人道主義の本質は

アメリカの「人道的」軍事主義 コソボの教訓
ノーム・チョムスキー著; 現代企画室; 2800円; 4-7738-0104-2

わが国ではまず何より卓抜な言語学者として知られているチョムスキーだが、2001年9月の米国同時多発テロ事件以後は特にその政治的発言が再注目されている。『9.11』(文芸春秋)、『「ならず者国家」と新たな戦争』(荒竹出版)、『アメリカが本当に望んでいること』(現代企画室)はその中でも良く読まれている書目であり、アメリカニズムの暴虐を徹底的に批判する姿勢が鮮烈だ。本書は1999年にアメリカで発刊された書物で、原題にある「ニュー・ミリタリー・ヒューマニズム」とは、ほかならぬアメリカの人道主義を指している。この人道主義は軍事主義の双子の兄弟なのだ。人道と軍事が一体化しているとはなんという卑劣な矛盾だろうか。アメリカの人道主義がいかんなく発揮された1999年のコソボ紛争の実態と背景の詳細な分析を通じ、著者は畳み掛けるようにこの国の外交政策の思い上がりを論破していく。その筆致はまことに怜悧かつ周到であり、アメリカの政治態度――特に各国への軍事介入のおせっかいぶり――に疑問を感じている者にとっては、読み進めるごとに痛快な気分を味わえるだろう。

彼はこう述べる、《レーガン/クリントン時代最大の革新は、国際法や正式の条約や義務をまったくあからさまに拒否するようになったことであり、こうした拒否が、西洋で、歴史上前例のない素晴らしい新時代の「新しい国際主義」と賞賛すらされるようになったことである》と。その通りである。「世界新秩序」においてもっとも耐えがたいことのひとつは、正義や人道の名のもとに行われる「戦争の正当化」だろう。本書の読者は何度もデジャヴュに襲われるに違いない、「これは読んだことがある」と。その感触は正しい。なぜなら、アメリカはコソボ紛争後もくだんの「人道主義」を反省せず、今なお戦争を繰り返しているからであり、チョムスキーは長い間、変幻自在のアメリカニズムへ言論をもって対抗してきたからだ。その意味で、本書は《9.11》の予言でもあったと言える。もう二度と繰り返させないために日本人ができることは何か。「有事法制」が先走るこんにちの政治の窮状を抱える私たちに色々な示唆を与えてくれる本である。なお、この日本語版には、原著にない補論「エピローグ:1999年を振り返って」が収録されている。

※併読をお奨めします→ヴィリリオ『幻滅の戦略』青土社、千田善『ユーゴ紛争はなぜ長期化したか』勁草書房、山崎佳代子『解体ユーゴスラビア』朝日新聞社、『現代思想・臨時増刊号:総特集=ユーゴスラヴィア解体』青土社


◆1986年のカリフォルニア大学での講義録がついに翻訳された

経済学の再生 道徳哲学への回帰
アマルティア・セン著; 麗沢大学出版会 / 広池学園事業部; 2300円; 4-89205-448-8

カネがものを言う経済至上主義は、人間の顔ではなくむしろもっと野蛮な顔を持っている。「経済」はそれ自体を目的として肥大化する野獣の如くであって、それは人間を食い尽くす凶暴な自動機械と化す。インドに生まれ、イギリスの名門ケンブリッジ大学で活躍する経済学者のセン(1998年度ノーベル経済学賞受賞)が、1986年4月にカリフォルニア大学バークレー校で行った連続講義の記録である本書は、《経済学に倫理学の視点を導入》し、《「道徳哲学としての経済学の樹立を目指す古典的名著》(オビ文より)である。現代経済学には「いかに生きるべきか」という倫理学的問いが欠けている、とセンは指摘する。人間行動を実証可能な単純な動機に還元しようとする経済学の「工学的アプローチ」に対し、単純化し得ない「善」の問題を導入する「倫理的アプローチ」を提唱したのが、本書の重要な戦略だ。経済学は倫理学から離れることによって貧困化し、この貧困化は多くの実証主義経済学の基礎をも危うくする。そう著者は警告しつつ、倫理学が経済学になし得ることとは何かを懇切に説いていく。パレートやアローら経済学者の名前だけでなく、パーフィットやノージック、ヌスバウムやドナルド・デイヴィドソンといった哲学者が登場するのは、そうした「倫理的アプローチ」の参照項であるからだ。講演がもとになっているためか、語り口は難解ではなく、内容もコンパクトにまとまっている。センの主張する厚生経済学への絶好の入門書としても最適だろう。

※参考書はこちら→桂木隆夫『市場経済の哲学』創文社、川本隆史『現代倫理学の冒険』創文社、鈴村興太郎+後藤玲子『アマルティア・セン:経済学と倫理学』実教出版

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02年5月27日

■『論考』の真新しさを躍動的かつ明晰に証明した好著

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む
野矢茂樹著; 哲学書房; 2400円; 4-88679-078-X

ウィトゲンシュタインという哲学者はこれまで多くの学者たちを魅了してきた。特に彼の出世作『論理哲学論考』は邦訳が複数刊行されており、この、短い諸命題の集合体は、ひとつの宝石箱のようにみなされてきた。本書の著者は、『『論理哲学論考』を読む』を読んでも『論理哲学論考』そのものを読んだことにはならないが、それでも本書は『論理哲学論考』を理解するための最短の道だ、と宣言している。すごい自信である。しかし実際この本はグイグイ読ませる、たしかにすごい本である。煩瑣で専門的な解説はなく、思い切って著者なりの切り口から『論考』の体系を組み直し、整理して、パラフレーズしている。そのためか、実に流れがつかみやすい。『論考』の草稿や、『論考』以後の著書からもふんだんに引用し、見取り図の見せ方もうまい。『私の論理哲学論考』を出したいぐらいなのだ、と漏らしているだけはある。『論考』は後半部に論理学から倫理学へと展開する劇的な構造をもっているが、著者はきっぱりとこう結論づけている、「『論考』全体を貫くウィトゲンシュタインのメッセージは、次の一言に集約される。《幸福に生きよ!》(『草稿』1916年7月8日)」と。目の醒めるような爽快な明晰さである。ウィトゲンシュタインは『論考』の最後を「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という命題で結んだが、それを受けて著者は「語りきれぬものは、語り続けねばならない」と書いて筆を擱く。語りの時間性を確信犯的に無視したウィトゲンシュタインを「正確」に読み解いた上での名句であると思う。

※『論理哲学論考』→中公クラシックス版、大修館書店全集版、法政大学出版局版、産業図書版


■18-19世紀の哲学者たちは、言葉と思考の関係性をどう捉えたか

言語表現の起源をめぐって モーペルテュイ、テュルゴ、メーヌ・ド・ビラン
ロナルド・グリムズリ編・解説; 北樹出版; 1900円; 4-89384-854-2

18世紀フランスの自然学者であり哲学者であるピエール=ルイ・モロー・ド・モーペルテュイの特異な論文「言語の起源と語の意味指示に関する哲学的省察」は、人間の原初的な言語表現に伴っていたであろう原初的な知覚の形成を推論することによって、人間精神の最初の歩みの痕跡を位置づけようとした論考である。この小論はごくわずかな研究者にしか配布されなかった(印刷された初版はたったの12部だった!)が、後に興味深い議論のきっかけとなった。本書には、モーペルテュイの該当論文と、それに対するテュルゴ(経済学者として著名)の批判的注解、両者の議論をともに乗り越えようとする哲学者メーヌ・ド・ビランの覚書などが収録されており、それらを概括する編者のグリムズリの論考が冒頭に置かれている。同時代に刊行されたコンディヤックの『人間認識起源論』(岩波文庫)やルソーの『言語起源論』(現代思潮新社)、ヘルダーの『言語起源論』(法政大学出版局)と比べて、一般にはほとんど知られてこなかった小さな論争ではあるが、言葉と知覚、記号と思考との関係性の淵源を問い、それぞれに普遍的な探究を目指そうとした三者の歩みは、後世から現代に続く哲学における言語への関心の原型を示していると言えるかもしれない。

※参考文献→坂本百大『言語起源論の新展開』大修館書店


■芸術の本質とは、真理を作品の内へと据えること。待望の新訳

芸術作品の根源
M.ハイデッガー著、関口浩訳、平凡社、4-582-70236-8、2002.5、2,200

ハイデッガーは言葉にこだわる哲学者だ。言葉に隠された意味とその由来にとことん遡って、出発点で見えていた風景とはまるで違う「原風景」へと読者を誘う。本書もまたそうである。「芸術作品の根源」と題された、けっして長くはないこのテクストは、芸術とは何か、作品あるいは作家とは何か、そしてそもそも根源とは何か、といった諸々の問いへ読む者を引きずり込む。ハイデッガーに案内されていくその先には見たこともない「真理」の風景が待ち受けている。「芸術は真理を発源させる。芸術は樹立しつつ見守ることとして作品のなかで存在者の真理を跳び出させる。何かを跳び出させること、本質の由来から樹立しつつ跳躍することによって存在へともたらすこと、このことこそが根源という語の意味するところである」。ここには巧みなレトリックが組み込まれているが、ハイデッガーの手にかかるとそれはレトリック的虚構ではなく、連環的事実となる。すなわち跳躍と根源との関係である(英語でもspringといえば、バネであるとともに、泉を意味することは周知の通りだ)。本書はこのほかにも数多くの連環や対比、そして特有の造語で満たされている。「真理が空け開けと伏蔵との原闘争として生起するかぎりでのみ、大地は世界中いたるところに突出するし、世界は大地の上に基づく」。極度に抽象的な議論のように見えるが、ハイデッガーは変奏を加えながら幾度も繰り返して芸術における真理について語っていることがわかる。レクラム文庫版に掲載されているハンス=ゲオルグ・ガダマーによるイントロダクションもあわせて訳出されている。

※関連書→イェーニッヒ『芸術の空間』青弓社、デリダ『絵画における真理(上下)』法政大学出版局


■哲学者は虐殺者の仲間だったのか。戦慄の大作、ここに完結

政治と哲学 〈ハイデガーとナチズム〉論争史の一決算 下
中田光雄著; 岩波書店; 10000円; 4-00-023626-1

ハイデガーがナチスに加担したのは、その思想的宿命だったろうか。前世紀後半の哲学界を揺るがした一大スキャンダルをめぐって、数多くの学者たちが膨大な量の研究論文をいまもなお産み出している。その広範な論争の領野をくまなく探索し、それらに一定の鳥瞰図を与えたのが、中田氏の労作である。下巻では、まず1987年から1998年までの諸説が概観され解説される。そして、そもそもこうした論争がどのような意義を持ち、また、どのような思想圏を70年もの間に形成したかが詳しく分析される。加担の事実はあったのか。その現実的条件は何だったか。思想的条件は。フライブルク大学の総長に就任するなど、短い期間にせよナチス体制下のドイツになじんでいるように見えた彼が、ある時からナチスを離れ、後は徹底した沈黙を守り続けたのはなぜだったのか。本書のおかげで、西洋の名だたる哲学者たちが連綿と重ねてきた議論を総覧できるだけでなく、それらをふまえた上で、もっとも真実に近い視点と切り口を得ることができる。まさに二重の意味で「ありがたい」――大いなる恵みであるとともにそもそも存在し難いこと――だと思う。巻末に補遺として「〈ハイデガーとナチズム〉論争史・文献年表」が付されている。

※もう読まれましたか→『政治と哲学(上)』


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