◆Notes on the Sand....or a Critique of Cultural Politics. by Hiroshi Kobayashi
2004年3月に、bk1「人文レジ前」で取り上げた書目は以下の通りです。
[2004年3月1日]
■人間の弱さと強さも、宿命と美も、この一杯の酒盃に溶けていく
ルバイヤート
オマル・ハイヤーム〔原著〕 陳舜臣著
\2,400 集英社 四六判 / 182p
ISBN:4-08-775333-6 発行年月:2004.2
11世紀後半から12世紀前半のセルジューク朝統治下のペルシア(現イラン)を生きた科学者であるオマル(ウマルとも表記される)・ハイヤームが酒宴などで披露した四行詩(ルバイー)を集めたものが「ルバイヤート(四行詩集)」である。5000首近い作品がオマルの名に帰せられているものの、真作は250から300首程度らしい。これまで幾度となく日本語訳されてきたが、このたび刊行されたのは、名高い小説家が戦時下の大学生だった時分より精読し試訳した、若き日の成果である。125首を収めてそれぞれに註解を付し、70頁を超える懇切丁寧な解説が添えられている。人の世のはかなさと美しさを詠った詩の数々は、アフォリズム的なひらめきを帯びながら、文学作品としての豊かさだけでなく哲学の深さも備えている。酒をこよなく愛したオマルは、その盃に喜びを味わうだけでなく宇宙や神の隠された相貌をも見出した。まさに人生における座右の書としたい堂々たる風格だ。
■新版の序文もあわせて訳出、サイードの魂の叫びが凝縮した一冊
パレスチナ問題
エドワード・W.サイード〔著〕杉田英明訳
\4,500 みすず書房 A5判 / 377,43p
ISBN:4-622-07084-7 発行年月:2004.2
「サイード、もうひとつの主著」と帯文に謳われている。『オリエンタリズム』(平凡社ライブラリー)の翌年に刊行され『イスラム報道』(みすず書房)へと続く一連の主著の中で、サイードがもっとも血涙を絞って書いたのが本書だ。「ペリシテ人の地」を意味する地中海東岸地域「パレスチナ」に、帝政ロシアにおける大量虐殺を逃れてユダヤ人たちが入植を開始した1882年以降、組織的移住は間断なく続いた。ナチスによる前代未聞の迫害を経て、ユダヤ民族はついに1948年、イスラエルを建国する。聖書において、この地はかつて3000年ほど前、古代イスラエル王国が建った場所なのだ。サイードが教えるのはこうした表向きの「正史」ではない。正史に圧殺され、今なおユダヤ人たちの暴力的占領に曝されているパレスチナ人たちの真実の姿である。排外主義的なシオニズムを非難し、パレスチナ人の自己決定を繰り返し重視するサイードは、受難がこの先もまだ続くことを覚悟しながらも、希望をけっして捨てない。本書は涙なくして読めない。
原題:The Question of Palestine
著者名:Edward W. Said
刊行年:1979 (1992)
出版社:Times Books (Vintage Books)
■脱西洋中心主義的な新しい文化人類学のための大きな一歩
宗教の系譜 キリスト教とイスラムにおける権力の根拠と訓練
タラル・アサド著 中村圭志訳
\6,000 岩波書店 A5判 / 342,31p
ISBN:4-00-023385-8 発行年月:2004.1
米国で活躍する中東出身の学者というと、論壇ではエドワード・サイードが著名だが、彼より二歳年上の社会人類学者タラル・アサドも忘れるわけにはいかない。著書が翻訳出版されるのは今回が初めてだ。抄訳ではあるけれども、省かれた二章のうち、一つ(「イギリス社会人類学における文化の翻訳という概念」)は雑誌初出時のヴァージョンがアンソロジー『文化を書く』(紀伊国屋書店)に収録されている。人類学は他者の文明を客観的に研究し理解するための学問とみなされているが、本当にそうなのか。客観性の名のもとに、西洋の文化的覇権を背景とした、他者の還元と統合が隠されているのではないか。この文化的覇権の装置がいかに普遍的「世界史」を定義づけているか、著者は人類学における宗教をめぐる概念や、中世キリスト教やイスラム教における宗教的修練(トレーニング)の歴史的生成、また、ラシュディの『悪魔の詩』がいかに読まれ、利用されたか等に注目し、抜本的な人類学批判を実践した。熟読玩味すべき見事な検証である。
原題:Genealogies of Religion
著者名:Taral Asad
刊行年:1993
出版社:The Jonhs Hopkins University Press
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[2004年3月8日]
■ユニークな「飛行機の文化史」は懐かしい図版が満載の名エッセイ
飛行機と想像力 翼へのパッション
橋爪紳也著
\2,200 青土社 四六判 / 267p
ISBN:4-7917-6098-0 発行年月:2004.3
ライト兄弟が自作の飛行機をついに飛ばせることに成功したのは、わずか百年前の話だ。まさに飛行機は前世紀最大の発明だったが、ハイジャックによるテロ攻撃で今世紀の暗い幕開けを象徴したのもまた飛行機だった。人類にとってそもそも飛行機とは何なのか。空への憧れや重力から解放された想像力の様々な発露を、ノスタルジックな多数の図版と20世紀初頭の多様な文献資料を渉猟しつつ解析。洒脱な一冊に仕上がっている。特に男性読者にはたまらない贈り物だろう。少年時代のパイロットへの夢が蘇るだけでなく、大人になった自分の知的欲求も満足させる名エッセイだ。月刊誌『ユリイカ』に2002年から翌年にかけて連載された「翼へのパッション」を大幅加筆改稿したもの。著者が構想する「飛行機の文化史」は、曲芸飛行士から模型飛行機、人間大砲から遊園地のアトラクション、そして爆撃機から都市防空まで、およそ人間が空と関わろうとするすべての契機を洗い出す。懐かしい図版の数々を眺めるだけでも多くの発見と喜びがある本だ。
■デカルト以前の西欧文明における、自己陶冶と生の技法を詳説
ミシェル・フーコー講義集成11 主体の解釈学
コレージュ・ド・フランス講義1981−1982年度
広瀬浩司訳 原和之訳
\6,400 筑摩書房 A5判 / 626,8p
ISBN:4-480-79051-9 発行年月:2004.2
講義集成第2回配本となる第11巻は、1981年から1982年にかけての講義録を収録している。既刊書にも増して分厚い本で、なおかつ学生にとっては決して廉価でもないが、この巻は無理をしてでも購入したほうがいい。本講義の主題である西欧における主体の歴史はフーコーの思想史研究の中核をなす成果であるし、書かれたものよりも特段に理解しやすい。フーコーを今までなかなか読めなかった人も、この達意の翻訳ならば咀嚼できるだろう。古代ギリシア・ローマ社会において重視された「自己への配慮」は中世のキリスト教社会にも連綿と引き継がれる。それは言い換えれば自己陶冶としての霊性の重視であり、「生の技法」に関わる人生哲学である。真理へ到達しようとする主体のありようを数多くの古典的テキストの読解を通じて壮大に読み解いていくフーコーの熱のこもった講義は、現代において倫理を問い直す上で今なお、いや、なおさら、刺激的で示唆に富む。文庫化された晩年の講義『自己のテクノロジー』(岩波現代文庫)も併読されることをお薦めしたい。
原題:L'Hermeneutique du sujet
著者名:Michel Foucault
刊行年:2001
出版社:Seuil/Gallimard
■著者33歳の力作が、当時のカリブ海地域の歴史研究を一変させた
資本主義と奴隷制 経済史から見た黒人奴隷制の発生と崩壊(世界歴史叢書)
エリック・ウィリアムズ著 山本伸監訳
\4,800 明石書店 四六判 / 412p
ISBN:4-7503-1845-0 発行年月:2004.2
カリブ海文化圏の一角を占めるトリニダード・トバゴ共和国は、千葉県より少し大きい国土を持ち、イギリスから独立を果たしてから半世紀に満たない若い国家だ。エリック・ウィリアムズはこの共和国の国家元首を生涯務めた知識人で、本書はイギリスのオックスフォード大学に提出した博士論文をもとに加筆されたものだ。一度日本語訳されている(中山毅訳、理論社、1968年)が、入手困難となって久しいこんにち、新訳が刊行されたのは慶賀にたえない。著者は本書で、17世紀以後のイギリスの植民地貿易や18世紀の産業革命以後の初期資本主義が、西インド諸島つまりカリブ海地域の黒人奴隷制の形成にどのようなかかわりを持っていたのかを探究している。イギリスの経済的発展の真の担い手はイギリス人ではなく黒人奴隷たちだった。時代ごとの政治的道徳的志向を経済発展と密接に関連づけて検証するという彼の方法論は、後進に大きな影響を与えている。古典的名著の価値は巻頭に置かれたコリン・パーマーによる解説でも明確だ。
原題:Capitalism & Slavery
著者名:Eric Williams
刊行年:1944, 1994
出版社:The University of North Carolina Press
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[2004年3月15日]
■都市の治安回復と犯罪減少プログラムのための聖典
割れ窓理論による犯罪防止 コミュニティの安全をどう確保するか
G.L.ケリング著 C.M.コールズ著 小宮信夫監訳 大塚尚〔ほか〕訳
\2,300 文化書房博文社 A5判 / 334p
ISBN:4-8301-1021-X 発行年月:2004.3
近年は日本のマスコミも取り上げ、熱い注目を浴びていた「割れ窓理論」だが、ここにきてようやく原典が完訳された。公共空間の治安回復と維持のための方法論を実証的に理論化したバイブルであり、まさに待望の刊行だ。「割れ窓理論」が教えるのは、建物や器物の破損を修繕したり落書きを除去したりする改善処置が犯罪が起きにくくさせるという事実である。当たり前のように聞こえなくもないが、犯罪が起こってから対処するという従来の警察活動の事後性を、予防活動に転換するという大きな違いをこの理論が生んだのだ。犯罪を取り締まる以前に、犯罪を生む原因や環境を理解し、未然に整備し抑止すること。本書ではニューヨークの地下鉄の秩序回復など、相応に生々しいドキュメントが読めるので、理論書につきものの抽象的な退屈さはない。本書は警察の内部改革の実録でもあり、いわゆるお役人臭い本ではない。訳者はみな警察庁の人材というのも興味深い。
原題:Fixing broken windows
著者名:George L. Kelling & Catherine M. Coles
刊行年:1996
出版社:The Free Press
■「一貫した現場主義」で、共に住むことをめぐる本質的議論を目指す
新編住居論 (平凡社ライブラリー 492)
山本理顕著 \1,500 平凡社 文庫 / 343p
ISBN:4-582-76492-4 発行年月:2004.3
自分たちがそこで住まい、あるいは働く場所としての建築の必然性を、私たちはどれくらい意識しているだろうか。住みやすさや働きやすさといった価値基準は恐らくは持ってはいるが、たとえば小学校が特定の規格に則って建てられているという事実を私たちはたいてい疑いもなく受け容れている。建築が従っているところの設計思想や規格というのを無自覚的に受け容れた上で利便性や快適性を云々するより、前提視されているその「仮説」的思想や規格自体を疑ってみることの有効性を著者は教えてくれる。仮説に縛られずに建築を考え直すこと。ラディカルだがしなやかな発想で、南米等の集落調査から得た発見について述べたり、自ら設計を手がけた住宅の失敗や成功について考察を巡らせ、あるいは公共性や「共に住むこと」を臨床的に論じている。本書は93年に刊行された単行本を増補したもの。旧版をまとめるきっかけを作った編集者植田実の近著『集合住宅物語』(みすず書房)に収められた多数の図版とともに楽しんでみたい。
■生国のフランスから父の祖国のペルーへ。女性解放運動家のデビュー作
ペルー旅行記 1833−1834 ある女パリアの遍歴 (叢書・ウニベルシタス
789)
フロラ・トリスタン〔著〕 小杉隆芳訳
\5,000 法政大学出版局 四六判 / 472p
ISBN:4-588-00789-0 発行年月:2004.2
画家ゴーギャンの祖母にして、神秘主義者エリファス・レヴィに影響を与えた女性解放運動家の文壇デビュー作である。19世紀前半のフランスにとって未知の国であるペルーを、生まれながらに気性が激しく、長じてはサン・シモン主義に影響を受けた理想主義者が批判的な観察眼で見たためか、植民地時代の旧習等に対し厳しい分析を下している。彼女の叔父をはじめとするペルー在住の権力者たちにはすこぶる評判が悪かったらしい。黒人奴隷を酷使する白人たちを非難する一方で、奴隷に対しても嫌悪感を露わにするなど、振幅の激しい一面も見せる。副題にある「女パリア(賎民)」との自称は、スペイン出身の貴族男性とフランス女性との間に生まれた「私生児」である自らの立場を表現したもので、いわば社会的なのけ者、異端児としての孤独を含意する。破天荒な記録ではあるが、後年の『ロンドン散策』(法政大学出版局)と並ぶ、興味深い迫真のルポルタージュだ。
原題:Les peregrinations d'une paria. 1833-1834.
著者名:Flora Tristan
刊行年:1837
出版社:Arthus Bertrand
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[2004年3月22日]
■難民の生き難さと苦悩を痛切に理解させてくれる得がたい体験記
母さん、ぼくは生きてます
アリ・ジャン著 池田香代子監修
\1,100 マガジンハウス 四六判 / 143p
ISBN:4-8387-1489-0 発行年月:2004.1
タリバン政権下のアフガニスタンで激しい迫害を受けていたモンゴル系の少数民族ハザラ人出身の男性である著者は、19歳の時、自分を逮捕しようとするタリバンの追っ手を逃れ、「戦争のない国」日本へ逃亡する。しかし待ち受けていたのは難民に認定されないまま不法入国者として拘留され続ける日々だった。日本政府がいかに亡命者や難民の受け容れにおいて後進性を露呈しているか、本書を読んでいて怒りとともに強い悲しみと恥ずかしさがこみ上げる。入国管理センターという名の収容所で次々と自殺を遂げていく人たち。ここでは生は絶望に塗りこめられた確実な死への奈落の異名だ。一方で、彼に無償の惜しみない援助で支える弁護士団や有名無名の市民の振る舞いは強く深く胸を打つ。本書はそうした人々との交流の中で少しずつ生を取り戻していく一青年の切実な体験記だ。彼の明るい素朴さと、平凡だけれども強く生きようとする姿勢が広い共感と感動を呼ぶだろう。
■歴史の忘却と無関心に抵抗するさりげない倫理の書
獅子ケ森に降る雨
簾内敬司著
\2,200 平凡社 四六判 / 230p
ISBN:4-582-83213-X 発行年月:2004.3
かつて自分たちの祖先が原因となった動物の絶滅や人々の虐殺を、都合よく何気なく忘却してしまうことによって、私たち現代人はますます孤立した存在になっているのではないか。著者は日本各地で狼や鹿が激減していった課程や、第二次世界大戦時に内地へ強制連行され途方もない苦役を強いられた中国人が多数殺傷された「花岡事件」の例などを挙げ、環境や他者への無関心と忘却の連続が、悲惨な過去から自分たちを引き離し、跡形もなく生命や自然との関係を断った独善的な孤独(それは一個の死である)へと陥れていると教える。「これからどうやって生きていくか」というデルス・ウザラの問いが本書の核だ。獅子ヶ森とは、花岡事件で収容所から脱走した中国人が逃げ込んだ森のこと。絶滅と虐殺の地を自ら訪問し、失われてしまったものたちを著者は思い起こす。押し付けの道徳ではなく、生きることの倫理をさりげなく強く印象付ける名随筆だ。
■『母権制』に先立つ、知られざる古代研究の大著がついに翻訳された
古代墳墓象徴試論
J.J.バハオーフェン著 平田公夫訳 吉原達也訳
\8,500 作品社 A5判 / 669p
ISBN:4-87893-628-2 発行年月:2004.2
古典的大著『母権制』(白水社版全二巻、みすず書房版[『母権論』]全三巻)に先立つこと2年、本書は1859年に刊行された。著者は当時44歳。サヴィニーの薫陶を受けた法学教授の座をあっさりと退き、富裕な貴族である自身の財力を頼みに古代象徴研究にのめりこんだ。ローマの名所ヴィッラ・パンフィーリで発掘された納骨堂の多彩な壁画を丹念に検証した彼は、そこに「象徴によってしか表しようのない墓所の充溢した崇高な思想」を見出した。白黒二色に塗り分けられた不思議な三つの卵が、繰り返される生死の永遠の営みを象徴し、縄をなうオクノス老人とその傍で縄を食むロバが、創造と破壊、生成と消滅の果てしない循環を象徴していると解釈し、古代墳墓の象徴世界にこそ人類の普遍的理念の源が保存されているのだと考えた。こうした著者の古えへの探訪をベンヤミンは「予言的学問」であると評している。これは単に象徴解釈学の先駆者として著者を賞賛しているだけでなく、過去への道のりが逆に未来へと通じるという妙味をも感じさせて、興味深い。
原題:Versuch ueber die Graebersymbolik der Alten
著者名:Johann Jakob Bachofen
刊行年:1859
出版社:[Basel]
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[2004年3月29日]
■闇夜にまばゆく輝く「狐玉」が死に至る怨念の連鎖を呼ぶ
狐媚記(ホラー・ドラコニア少女小説集成 4)
渋沢竜彦著 \1,800 平凡社 四六判 / 123p
ISBN:4-582-83216-4 発行年月:2004.3
絢爛たる想像力の火花散る雲間に隠された「ホラー・ドラコニア」の高峰は、第四弾である本書の刊行によってついに垣間見られる。既刊に比して、一段と生命力が増しているように感じられる。書き手、描き手、解説者、装丁者のそれぞれの仕事の内的強度が「編集」という錬金術的坩堝を通過して、いっそう有機的に、まるで互いに挑みかかっているかのようにひとつの「からだ」を成しているのだ。
澁澤龍彦の短編「狐媚記」と、あとがきにかえて収められたエッセイ「存在の不安」、鴻池朋子の「ナイファー・ライフ」をはじめとする挿絵、そして月報に載せられた四つのテクスト――山下裕二教授による「常識にくるまれた狂気――鴻池朋子の表現について」と、ミヅマ・アートギャラリーの三潴末雄代表による鴻池のプロフィール紹介、『狐媚記』の解説にかえて編集者の高丘卓が草した「哲学者の卵(I)」と編集後記「サブリミナル装置」。いずれも絶妙な侵食(バランスというような生易しいものではない)が完遂されている。
シリーズ第二巻『菊燈台』で、澁澤は炎の中に消えていく若い男女を描いた。エロスの只中の死へと男を誘ったのは少女だった。『狐媚記』では今度は別の少女が若い男を破滅させる。『狐媚記』は三つのエピソードに分けられる。時は南北朝。左少将の妻「北の方」は初子に美しい男児「星丸」を産んだが、やがて狐を第二子に産んでしまう。狐の子は悲しくもただちに彼岸へと送られる。爾来、北の方はしばしば夢や幻覚で狐の子に出会うようになり、その子を我が娘と確信するが、それらの再会が彼女の心を癒すことはない。
次のエピソードでは、左少将が別邸で狐をめぐる魔術三昧に明け暮れるさなかに訪れた闇について語られる。諸国を巡業する職人から左少将はある日「狐玉」を高額で譲り受ける。それは狐の体内で生成された霊力の塊で、鉱物のようでもあり、有機物のようでもあるという。夜闇に煌々と輝き、水を注いで月光にさらせば霊験が増す。左少将はこれを重宝としていたが、ある日、息子の星丸がいたずらをしてだめにしてしまう。すると、かつて知らず知らずのうちに狐玉に籠めていた怨念が、左少将自身に跳ね返り始める。彼は妻への嫉妬心から、無意識の内に狐を使って妻を孕ませたのだ。左少将が自分の悪心に気づいた時、狐玉は崩壊する。
三つ目のエピソード。成長した星丸は美しい青年とはなったが、しばしば女性を誑かし、乱暴な肉体交渉を強いるようにもなる。ある日、星丸は手足に重傷を負った若い女を連れて母のもとを訪ねる。母はその若い女が自分の産んだ狐の子であることに感づき、息子の手から逃してしまう。息子は女を追いかけ、恍惚とした愛の営みの中で、女の狐玉に生気を吸い取られて絶命する。偶然か必然か、左少将の呪いは息子に降りかかり、物語は幕を閉じる。
巻末エッセイ「存在の不安」で澁澤はバタイユを引きながら、エロティシズムと死の相似について語る。人間はそもそも孤独な存在者だが、裸になり愛しあう時、はじめて他者との連続性を手に入れる。営みの絶頂としてのオルガズムは連続性であるとともにひとつの「死」であり、死こそは究極の連続性と見なされる。オルガズムは男性の場合は到達すると同時に失われていくものだが、女性の場合は持続する。女性が経験しうるオルガズムのプラトー(台地)を知らぬ男性にとって、持続する連続性、持続する「死」は一種神秘的なものである。
『狐媚記』で男の生気を吸い取って生き延びる狐の娘と、吸い取られて絶命する男という、対照的な二つの表象は、この神秘に対する澁澤のまなざしを暗示しているように思える。男女とも炎に包まれ死に至る『菊燈台』においても、嫣然として死の中へ男を誘い込む少女の存在は、この炎のさなかであたかも不死を得ているかのように輝いていた。明確に言明されているわけではない。しかしここでも澁澤は、男のそれよりも持続する女性のオルガズムを、物語の余白に書き込んでいたのかもしれない。
澁澤作品を愛読しているという鴻池の挿絵には、風に渦巻くように乱舞するナイフがしばしば登場する。それはまるで、怨念の連鎖のようである。この「連鎖」のとめどない観念こそ、「ホラー・ドラコニア」の編集者が、それこそ狐玉に念じるようにして書物に籠めている呪文なのではなかろうか。編集者が「サブリミナル装置は作動した」と書く時、そこには時空の制約を越え、境界を超えていく連鎖がある。群れをなしてうねりながら飛んでいくナイフがやがてドラゴンとなって黒い森を馳せていく、80頁から81頁にかけての見開きの挿絵は、まさに本書のために描き下ろされた作品のひとつだが、見事な、幸福なコラボレーションだ。この「連鎖」は次回配本の最終巻『漠園』へと開かれる。挿絵は『菊燈台』で起用された山口晃が再登場する。
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