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■「現代思想の最前線」/五月(ごがつ)
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第36回 洋書フェア2002で売れた和書――チョムスキーとデリダ
ブランショが死んでしまった。その一言で今回は書き終えたいほどだが、そうもいかない。でも死んでしまったのだ。私はパリのGさんからその速報を聞いて、ただただ落胆した。果たせなかった色々なことを無念に思った。彼の論文『問われる知識人』を昨年暮れに自分の出版社から刊行し、次は何をやろうかとあれこれ思案し、周囲にも相談していたところだった。一冊出した実績ができたのだから、やっとブランショと直接コンタクトを取る立場と口実を得たのだと勝手に喜び、前々から練っていた今後の刊行計画を添えて、さてどんな手紙の文面にしようかと、いじいじ考えていたのだった。しかし死んでしまった。私はタイミングを逸したのだ。彼は私が担当した『問われる知識人』の日本語版を生前手にしてくれたのだろうか。おそらくそれは彼にとって、最後の翻訳書だったろう。版元には数冊送っているから、そのなかの一冊なりとも、彼の手元に届いたはずだ。彼が読むことのできない言語で書かれた翻訳書を手に取り、縦書きに整列した奇妙な文字の連なりを眺めてくれたろうか。ところどころに露出するフランス語に視線を留め、内容を類推してくれたろうか。奥付の日付は目にしたろうか。あの一冊は、彼への心からの挨拶であり、手紙でもあったのだ。
悲しんでいても始まらないので、本題に戻る。神保町の三省堂書店神田本店の4F人文書売場で先月いっぱい開催していた洋書フェアの売上結果のことだ。結果は上々だった。読者の皆さんが買い上げてくださったお陰である。売上は昨年とほぼ同じだった。売場の担当者は、上司から「今までやってないことや他社がやってないことは今後も積極的にやってみて」と激励を受け、ますます燃えているようだ。燃えている君は素敵だ、Sさん。しかし上記のように励ましてくれる職場環境というのも、全国で稀なのではないか。「今までやっていないことはやらない」「他社がやっていないからうちでもやる理由はない」という声は聞いても、その逆はないように思う。私はフロア長をはじめとする上司の方々の度量にちょっとびっくりした。嬉しかった。
前回の報告で洋書の売上傾向はだいたい書いたので、今回は、フェアで売れた和書のうちの、注目新刊を手がかりに、次の話題に移るための関連情報と素材を概観したい。
洋書の売上第一位はネグリとハートの『帝国』だった。和書でも、出たばかりの『帝国』は売れていた。しかし『帝国』と同じくらい売れたもうひとつの和書が、チョムスキーの新刊『グローバリズムは世界を破壊する』明石書店だった。チョムスキーの邦訳ラッシュは続いている。『新世代は一線を画す――コソボ・東ティモール・西欧的スタンダード』がこぶし書房から刊行され、今月(2003年2月)はまた明石書店が『テロの帝国アメリカ――
海賊と帝王』を出した。トランスビューからは『マニュファクチャリング・コンセント――マスメディアの政治経済学』が近刊予定だ。チョムスキーがこれだけ出始めたのを見たからと言って、一過性の流行だと思わないでおきたい。一過性だと割り切っている出版社もあるかもしれないが、チョムスキー本人は流行に関わりなく数十年にわたって一貫して政治的介入を続けてきたのだから。
なお、チョムスキーについて一言付言しておくと、以前から何回か紹介したことのあるドキュメンタリー映画『チョムスキー9.11』が今なお各地で上映されており、BOX東中野では、2月22日(土)から二週間、モーニングショウが始まっているほか、横濱シネマや新潟シネウィンドでは2月15日から、兵庫シネピピアで2月22日から、大分シネマ5で3月15日から、金沢シネモンドで4月12日からと、続々決定している。ここまで地道に続くとはすごいことだ。詳しい情報は、http://www.cine.co.jp
で見ることができる。
『グローバリズムは…』のインタビュワーであるデイヴィッド・バーサミアンにも注目したい。イクバル・アフマドへの彼のインタビュー集『帝国との対決』が太田出版から今月刊行されており、フェアでも発売早々に良く動いていた。優れたジャーナリストであるバーサミアンが日本の読者の目に留まるようになったのは、たぶんサイードのインタビュー集『ペンと剣』(クレイン、1998年)が初めてではなかろうか。洋書では、バーサミアンはふたたびサイードのインタビュー集『文化と抵抗』をサウス・エンド・プレスから今月刊行する。彼が行ったインタビューにハズレはなく、どれもなかなかの仕上がりになっているから、どんどん邦訳されて欲しいものだ。
ネグリとハートの『帝国』、チョムスキーの『グローバリズム…』は確かに売れた。しかしもっと売れたものがある。それは、講談社メチエの一冊として刊行された、林好雄と廣瀬浩司の共著『デリダ』である。デリダについての入門書といえば、同じ講談社から出た「現代思想の冒険者たち」のシリーズで、高橋哲哉による『デリダ』(1998年)があり、2001年には清水書院の名シリーズである「人と思想」で上利博規による『デリダ』が刊行され、更にちょうど一年前には青山出版社からポール・ストラザーンの例のシリーズの一冊として『90分でわかるデリダ』が出ている。ほかにもデリダ論としては、東浩紀の高名なデビュー作『存在論的、郵便的』(新潮社、1998年)や、松本浩治の『デリダ・感染する哲学』(青弓社、1998年)がある。しかしこれだけ出ていても「出尽くした」感じがしないのが、デリダのデリダたるゆえんかもしれない。いや、もっと明確に言えば、これが日本におけるデリダ受容の一端であり、受容史はピリオドを迎えたわけではないということだ。
ご存知のようにデリダはここ二ヶ月というもの、来日を睨んでの新刊ラッシュが続いていた。結局来日はあえなく潰えたのだが、とにかく本が続々と出たのはよかった。口火を切ったのが、デリダとサールの論争をまとめた『有限責任会社』である。高橋哲哉、増田一夫、宮崎裕助訳で、法政大学出版局から昨年末に出た。その後、講談社メチエの『デリダ』が出て、続けざまに、9.11の直後のアドルノ賞受賞講演『フィシュ』が逸見龍生訳で白水社から。そして『マルクスの亡霊たち』(藤原書店近刊。いいかげんに早く出してくれ)と並ぶデリダの政治論の白眉『友愛のポリティックス』全二巻が、鵜飼哲、大西雅一郎、松葉祥一の共訳でみすず書房から出た。第一巻は2月上旬、第二巻は同月下旬の刊行。さらに岩波書店からは、精神分析の歴史にかんする研究で大きな成果を挙げているエリザベート・ルディネスコによるデリダのインタビュー集『来たるべき世界のために』も、藤本一勇と金澤忠信の共訳で出た。
更に今年のフランス語の原書では、"Voyous:
Deux essais sur la raison"(『ならずもの:理性をめぐる二試論』)がガリレーから刊行されており、同社の予告では、"A
la vie a la mort"(二つのaにはアクサングラーヴがつく。『生において、死において』)が近刊となっている。デリダは毎年何冊も新刊が出るから、研究者も出版社も追いかけるのが大変だ。『ならずもの』は昨年7月にスリージー・ラ・サールに行われたデリダをめぐるコロック(合宿討論会)での講演が単行本化されたもの。複数の出版社が版権獲得に名乗りをあげているようだから、これもそのうち邦訳されるだろう。
上記のデリダの翻訳書新刊を全部買おうとすると、税込で二万円を超える。これが市場的に何を意味し、どのような影響を及ぼすかは興味深いところだけれども、本稿ではコメントしない。注目しておきたいのは、デリダを翻訳する世代の交代が進行しているということだ。例えば、上記新刊の訳者を世代別に分けるとしよう。肩書きは訳者紹介に準じている。
1952年:林好雄・駿河台大学助教授
1954年:増田一夫・東京大学教授
1955年:鵜飼哲・一橋大学教授
1955年:大西雅一郎・成蹊大学教授
1955年:松葉祥一・神戸看護大学教授
1956年:高橋哲哉・東京大学助教授
1963年:廣瀬浩司・筑波大助教授
1964年:逸見龍生・新潟大学助教授、
1966年:藤本一勇・早稲田大学第一文学部講師
1970年:金澤忠信・東京大学大学院博士課程在学
1974年:宮崎裕助・東京大学大学院博士課程在籍
※宮崎氏の「崎」の字は正しくは山へんに竒
この通り、年長から年少までの年の差は実に22年もある。さらにここにこれまでのデリダのすべての訳者やデリダ論の執筆者を含めるともっと面白いだろう。私が特に期待しているのは、1960年代以後の人々の活躍である。それは端的に言って、その上の世代より体力や気力の余裕があるだろうからだ。もちろんこれは一般論にすぎない。若さというのは必ずしも年齢が保証してくれるものではない。しかし、おそらくは若さというのは、同時代の情報に敏感であるという特質を備えており、それこそは私が評価したいものである。
私は昨年アレクサンダー・ガルシア・デュットマン(1961年生、ミドルセックス大学教授)の『友愛と敵対』という本の刊行に携わったが、この著者はデリダ界隈を研究している人ならば、ぜひ知っておかねばならない人物であるものの、本邦初訳で日本の読書界ではほぼ無名と言っていい彼の本の売行きは、率直に言って地味である。しかしながら、廣瀬浩司氏は『デリダ』の厳選された参考文献の中に本書を挙げているし、逸見龍生氏は、本書ではないが、デュットマンの記念碑的大著でハイデガー/ナチズム、アドルノ/アウシュヴィッツを並行的に論じた『思惟の記憶』(月曜社より刊行予定)に言及している。宮崎裕助氏はデュットマンのもとに現在留学しており、こうした動向を目にするにつけ、出版人として私は大いに励まされる。デュットマンをはじめとするデリダ以後の世代が同時代において何を問題視しているか、研究者や読者の各人が自分と彼らとの距離を確かめてみるのは無益なことではない。
『友愛と敵対』はカール・シュミットの「敵」概念と、デリダの「友愛」概念をともに掘り下げた小著で、このたび刊行されたデリダの『友愛のポリティックス』をまさに問題の俎上にのせている。お読みでない方はぜひ御高覧いただきたい。デュットマンからは昨年「いつか日本に行ってみたい」との私信をもらったことがあるが、何年かにわたって「ぜひ来日を」とエールを送ってきた甲斐があるというものだ。彼がいつの日か来日する時までに、『思惟の記憶』に先立ち、私は彼の卓抜な論考『エイズとの不和』がまずは刊行できればいいなと思っている。
以前この連載で予告しておいた、デュットマンによるアガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』にかんする二つの重要な論評を掲載したリーフレットのことだが、ようやく来月出来あがりそうだ。訳稿がとっくにあがっているにもかかわらず私自身がどの機会にリーフレットを出すべきか迷っていたため、遅れてしまっていた。しかしこのたび、喜ばしいことに『アウシュヴィッツの残りのもの』が重版することとなり、この重版分にリーフレットを挟み込むことにしたのだ。リーフレットは「月曜社通信」という平凡な仮題をつけてある。色々な情報を詰め込むつもりだ。都内の大書店の店頭でも無料配布する予定だが、地方の方は入手しにくいかもしれない。ウェブで公開する予定はないので、希望される方は、書店に取寄せを頼むか、月曜社宛に返信用封筒(定型サイズの一番大きいものがいい)と80円切手を送って欲しい。折り返しお届けする。
現在私は、この重版を用意すると同時に、アガンベンの『バートルビー論』の出版準備をしている。営業や経理も同時にやりながら編集作業をするので、迅速な進行とはまったく言えないが、スピヴァクの『ポストコロニアル理性批判』とともに近刊である。
以上、近況報告を含めて、フェアの結果とここ最近の出版動向をざっと見渡してみた。[2003年2月24日]
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初出:「[本]のメルマガ」第133号(2003年2月25日配信)
オマケ……第133号のトピックス記事……「きのくま1号〜3号」って何だ?
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■トピックス
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■京都の小出版社が、ソシュール『一般言語学講義』の幻の講義録を邦訳出版
『一般言語学第三回講義』相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、
本体価格3400円、A5判314頁、ISBN:4-901188-03-8
かの有名なソシュールの『一般言語学講義』(岩波書店)が、セシュエとバイイという二人の研究者によって、聴講者たちの複数の筆記ノートをもとに大胆に「復元」されたものであることは、つとに知られている。それゆえ世界のソシュール学者たちは、師の肉声にいかに遡り、いかにその思想体系の正確な輪郭に近づくか、常に挑戦を続けてきたと言っていい。二〇世紀初頭、ソシュールの最晩年に行われた、一般言語学講義全三回のうち、日本ではこれまでA・リードランジェによる第二回の講義録の序説部分が詳細な註釈解説付きで『ソシュール講義録注解』(前田英樹訳、法政大学出版局、1991年)として邦訳出版されている。そして今回、京都府長岡京市の小出版社エディット・パルクから邦訳出版されたのは、エミール・コンスタンタンによる第三回講義の記録の全訳である。訳者は日本語教師の相原奈津江と、かつて埴谷雄高に一目置かれた小説家である秋津伶の両氏。コンスタンタンによる三回分の講義録は、学習院大学の小松英輔教授らによる国際的な共同研鑚によって、Pergamon
Pressから90年代に刊行されたもので、現在第三回講義録の巻は絶版となっており、入手困難だが、このたびソシュールの生前最後のこの講義をもっとも良く伝えるものとされるノートが邦訳されたのは、ひとつの事件だと言っていいだろう。解題「甦るソシュール」を寄稿した立命館大学の西川長夫教授も、本書の刊行を心から祝福しており、内容についても次のように絶賛している。
「相原・秋津両氏によるコンスタンタンの邦訳を、フランス語の原文と対照させながら読んでゆくうちに私は深い霧が次第に晴れてゆくような爽やかな快感を味わった。それにしても『一般言語学講義』とは何という違いであろう。バイイ、セシュエが編集した『講義』とは違い、コンスタンタンのノート(第三講)には思考の流れとリズムが忠実にたどられている。ある種の優れた探偵小説を読む快感にたとえるのは不謹慎だろうか。ラングという目に見えずとらえどころのない犯人の正体が、順を追った慎重で鮮やかな手続きを経て次第次第に明らかにされてゆく。(中略)純粋な国語や国民文化の概念にとらわれ、それと知らずにナショナリストになっている読者や言語学者の目を覚まし、現実に立ち返らせる効果があるだろう」。
当メルマガでも取り上げたことがあるが、ソシュール自身の「一般言語学」の覚書は昨年年頭にガリマールから出版され、邦訳が某大手出版社から刊行されるべく着々と準備されてはいる。しかし、講義者自身が用意したノートと、ノートを元に実際に語られた講義の内容が、まるっきり同一のものであるというわけではないだろう。ソシュール自身の『一般言語学文書』がいずれ翻訳されるとしても、コンスタンタンによる筆記録の邦訳である本書が、その役割の意義を失うことはない。ソシュールの命日に合わせ、2月22日に刊行された本書は、地方小出版流通センター扱いで、全国の書店から注文できる。神保町の書肆アクセスの店頭にも並んでいるはずだ。
エディット・パルク http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cogito/
書肆アクセス http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/shop/shoppage.html
※追記。エディット・パルクさんは、今回の新刊の翻訳者でもある相原奈津江さんが、1999年3月1日に、ご本人を含めてスタッフ2名で創業された出版社だ。2003年2月現在、既刊書は4点。
1)釉裏の華 広瀬典丈&さちよ作品集
2)目眩めく生命の祭 勅使河原蒼風の世界 広瀬典丈著
3)土の器 み旨のままに 藤浪みや子著
4)ソシュール「コンスタンタンの講義記録 一般言語学第三回講義」
今後の出版活動の抱負を伺ったところ、「はっきりした出版傾向はありません。出したいという著者の希望を叶えることがまずは先です」のこと。例えばソシュールは、「日本語」を教えている相原さんご自身が訳出を希望されて、出版にこぎつけたものだ。「今後もこのようにして進めていくつもりですが、これはと思う作品で、なかなか大手ではかなえられない著者(例えば、共訳者の秋津伶氏の作品のような)がいたら、採算は度外視しても出したいという希望はあります。そういう作品にめぐりあえる幸運を待つのみです」と相原さんはコメントを寄せてくださった。西川長夫教授は解題「甦るソシュール」でこう書いている。「ソシュールの『一般言語学講義』のノートの中でおそらく最も重要な位置を占める『コンスタンタンのノート』の翻訳が、このような日本語教育という実践の場から切実な要求として出されたことの意味は大きいと思う。私はソシュールにかかわるこの重要な文献が、アカデミーの住民ではなく、言語問題音現場で苦闘している人によって訳され、中央の大出版社ではなく地方の小出版社によって世に出ることを喜び、祝杯をあげたいと思う」。西川教授は、ソシュールがアカデミズムによってではなく日常生活の中で言葉の問題に直面している一般読者によって読まれてこそ、彼の本来の姿を取り戻すのではないか、とも述べている。そうあったらいいと私も思う。[2003年2月27日、五月記す]
■オンデマンド共同出版《リキエスタ・プラス》が5月についに始動
品切などの理由で読めなくなっていた作品を手頃な値段とサイズで、1冊からでも生産できる人文書系オンデマンド・シリーズ《リキエスタ》。そしてこのたびその発展形態として、「本とコンピュータ」編集室が、東京大学情報学環の佐倉統(進化生物学)、水越伸(メディア論)、山内祐平(情報リテラシー論)らととも
に、新しいオンデマンド出版のシリーズ《リキエスタ・プラス》を5月から刊行開始する予定だ。今まで出ていたテクストを再刊するという形態ではなく、すぐには単行本になりにくい最先端の論文などをいち早く刊行。オンデマンドだからできる学術出版の新形態がここにある。現在、次の三点が最初のラインナップに挙がっている。いずれも仮題で、ページ数、定価などは未定。注目すべき挑戦になるだろう。
1)東京大学情報学環編『メルの環――メディア表現、学びとリテラシー』
2)佐倉統編『佐倉統がよむ
進化論のエッセンス』
3)五十嵐太郎・南泰宏他『エデフィカーレ・リターンズ――幻の建築評論誌
傑作選』
より詳しい情報は、3月10日発売の『季刊・本とコンピュータ』に掲載。正式なタイトルや発売日等は、随時『季刊・本とコンピュータ』やウェブサイトの「本とコンピュータ」http://www.honco.jp/
で告知される。
■「限定」と言われるとついつい買ってみたくなる、本屋さんのイチオシ商品
【限定400部-500部】アート系の本を数多く揃えている書店と言えば、やはり青山ブックセンター。一般書店では絶対に手に入らない洋書和書もここでは仕入れていたりする。アパレル・ブランドの「ヒステリック・グラマー」が限定生産している写真集もそうしたレアな商品の一つ。今月は三つの最新刊が入荷した。『Hysteric
Seven』はロスアンジェルスを中心に活動している気鋭の作家Dean
Samezimaの写真集で、400部限定、税別4500円。『Hysteric
Eight』は、第25回木村伊兵衛写真賞受賞作家の鈴木理作の写真集で、500部限定、税別5000円。『Hysteric
Nine』は、ソウル出身の具本昌(クー・ボンチャン)によるモノクロ写真集で、400部限定、税別4500円。サイズはすべて230×260ミリ。既刊書がたいていオークションでは高値でやり取りされている、人気シリーズだけに、今回も売切必至だ。
http://www.aoyamabc.co.jp/public-html/RECOMMEND/art/A050203.html
【限定1000本】昨年秋、丸善が限定1000本で製作したのが、万年筆「アテナ・ザ・ペン」。もともとアテナの名前は、丸善が大正14年につくった万年筆の名品からとられているという由緒正しいもの。さすがに名乗るだけはあって、作家の瀬戸内寂聴が「書きやすい」と絶賛して即購入したという。文具の老舗でもある丸善の渾身の一本だ。ちなみに作家が買っていったのは、万年筆と美濃和紙の便箋がセットで桐箱に入っているなんとも贅沢な「桐箱入ギフトセット」で税別35000円。高級万年筆の値段の相場を知っている方ならこれがけっして高すぎる値段ではないのが分かるだろう(むしろお手頃価格!)。一人前の大人になったらやっぱり持っておきたいのが、太くて手にしっくりくる上質な万年筆。残部僅少につき売切御免。いい仕事してます。
http://www.maruzen.co.jp/home/tenpo/athena_minowashi.html
【限定2500体】クマちゃん(もちろん動物の熊、です)好きにしっかりアピールしているのが、紀伊國屋書店が各2500体限定でこの冬に製作したオリジナルのちっちゃなクマ人形「きのくま」1号、2号、3号だ。人気商品でウェブ販売分はすでに売り切れ、店頭在庫分のみの販売。それぞれのタイプにキャラが設定されており、エプロンをつけたブラウンの「きのくま1号」は「アルバイト歴3ヶ月で、得意は本のカバー掛け、働き者でまめまめしい」クマちゃん。本を読んでいるライトブラウンの「きのくま2号」は、「読書が趣味の知的クマちゃんで、週に三度はご来店、『くまの子ウーフ』が愛読書」とのこと。エプロン着用で飛行するシロクマちゃんの「きのくま3号」は、「仕事は店内パトロールで、たくさんの迷子を助け平和を守る、本にも詳しい頼れる味方」。寸法は6-7cm×4cmで小さいながら足可動(3号を除く)で、携帯に便利なボールチェーン付き。それぞれ税別で370円から450円でリーズナブルだ。それにしてもいったい誰が開発したんだろう。なんでクマなんだろう。
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/kinokuma/kuma.htm
※更には今月(2003年2月)5日からは「ウラきのくま」3ヴァージョンが限定発売開始! 人気商品につき、全部揃えるのはたいへんだぞ。
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/kinokuma/kuma2.htm
■「顔のない作家」モーリス・ブランショ、95歳の大往生
フランスの「フィガロ」「リベラシオン」「ル・モンド」等の各紙によれば、今月20日、作家のモーリス・ブランショがパリ近郊の自宅で息をひきとった。95歳だった。生前に自ら顔写真を一切公表しなかったが、訃報を掲載した各紙にもまた、顔写真はなかった。生前最後の作品は、戦争で危うく殺されかけた自らの体験を綴り、死について考察した1994年の『私の死の瞬間』(邦訳は、ジャック・デリダ著『滞留』未来社刊に併載)。来月(2003年3月)26日から4日間、パリ第三大学と第七大学で、ブランショの諸著作をめぐる大規模な合宿討論会が予定されており、デリダ、ナンシー、ラクー=ラバルト、ディディ=ユベルマン、バリバール、クリステヴァ、アガンベン、フェティ・ベンスラマ、ミシェル・シュリヤなど、錚々たる顔ぶれが参加するはずだが、ここが実質的な追悼の場になるだろう。
合宿討論会: http://www.fabula.org/actualites/article5153.php
※お詫びと訂正:ブランショの訃報に一部誤記がございましたので、謹んで読者の皆さんにお詫びし訂正します。記事中に「生前に自ら顔写真を一切公表しなかったが、訃報を掲載した各紙にもまた、顔写真はなかった」とありますが、ただしくは、顔写真は掲載されていました。国文社から出ているレヴィナスとポワリエの対談集『暴力と聖性』で公開されている、例の若い頃の写真だったそうです。パリのGさん、情報をありがとうございました。[2003年2月27日、五月記す]
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