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■「現代思想の最前線」/五月(ごがつ)
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第37回:「フェラーリ・ブラーヴォは死んでいない」とネグリは言う
5月19日は、批評空間の編集長、内藤裕治さんの命日だ。早くも一周忌である。内藤さんの命日が忘れがたいのは、生前に果たしきれなかった共同作業――出版社の垣根を越えて販売戦略を立ち上げようという構想――が胸の内に残っているからだが、さらに言えば、この日は私個人の誕生日でもあるという理由がある。歳を重ねるごとに、忘れがたく内藤さんの命日も回帰する。内藤さんの名刺を捨てられないのも、いただいたEメールを用済みだからと削除できないのも、その死が私に何かを語りかけてくるがままにしたいからだ。
先々月、産業図書の江面竹彦社長がお亡くなりになった。密葬だったようで、その逝去は業界内でもほとんど知られていなかった。理工系の出版人であるけれども、現代思想系の書籍を数多く手がけられ、一ジャンルに閉じこもることを嫌われた方だった。若々しい探究心と厳格な批評眼を持ち、業界の停滞を容赦なく論難する反骨の人だった。ご冥福をお祈りいたします。
死を悼むという行為は必ずしも思い出話に終わるものではない。アントニオ・ネグリは今年2月、マニフェストリブリから『ルチアーノ・フェラーリ・ブラーヴォ、ある不良教師の肖像』という小著を発表した。ルチアーノ・フェラーリ・ブラーヴォ(より原語の発音に近づけると「ルチャーノ・フェッラーリ・ブラーヴォ」となろうか)は、1940年生まれの政治学者で、イタリア政治史上もっとも悪名高い1979年の「4月7日」事件の犠牲者である。党に依らない革命運動体である「アウトノミア(「自律」を意味する)」系のアクティヴィストたち――つまりネグリやパオロ・ヴィルノをはじめとするパドヴァ大学の教師陣や学生たちだ――を、当局が「武装蜂起」等々の濡れ衣を着せて一斉検挙したのが、「4月7日」である。アルド・モロ元首相(キリスト教民主党党首)を暗殺した極左集団「赤い旅団」の黒幕であるとして、彼らは逮捕されたのだ。当局の目論見はテロ集団を壊滅させるというよりは、国家にとって不穏な思想家を掃討することだった。
"Luciano Ferrari Bravo Ritratto di un cattivo maestro"
Antonio Negri, 2003, manifestolibri, ISBN88-7285-290-0
http://www.manifestolibri.it/
フェラーリ・ブラーヴォは、アウトノミア系の古典『労働者と国家』『国家と低開発』『帝国主義と多国籍労働者階級』などの共著者であり、70年代に多数の論文を発表していた。その思想内容が「危険」かもしれないという嫌疑で、彼は犯罪予防的に、1979年から1984年までの5年間、投獄されていたのである。当然のことながら無罪であった。彼の主要論文は『フォーディズムからグローバリゼーションへ』(2001年4月、マニフェストリブリ刊)で読める。1968年から彼が逝去する2000年までの、未発表を含む18のテクストを収録しており、その中には獄中からの手紙や、1983年の裁判での尋問記録も含まれている。長文の序を寄せているのはセルジオ・ボローニャだ。
"Dal Fordismo alla globalizzazione"
Luciano Ferrari Bravo, prefazione di Sergio Bologna,
2001, manifestolibri, ISBN88-7285-202-1
http://www.manifestolibri.it/
1997年、ネグリは亡命先のフランスからイタリアへ帰還した際、こう語っていた。「この帰還はまた出会いでもあります」(『未来への帰還』インパクト出版会)と。4月7日事件以後からこんにちにいたる月日の中で、イタリアは政治的に改善したのか。改善していない。当局の過去のあやまちは放置されたままだ。70年代の政治闘争をともにした仲間たちとの討論の再開を期し、当時の「運動魂を構成した、この集団的な前向きの競合精神、変革の喜び、共同的知への志向を再構築するために」、彼はイタリアへ戻らなければならなかった。フェラーリ・ブラーヴォは、ネグリが1990年、亡命中にジャン=マリ・ヴァンサンと創刊した雑誌『前未来』に幾度か寄稿しているが、彼こそは、ネグリが対面で「討論を再開」したかった友人の一人であろう。「ルチアーノは死んではいない」とネグリは述べる。彼にとってフェラーリ・ブラーヴォは来たるべき新世界を告知する力強い思想家なのだ。ある者は麻薬に溺れ、ある者は引きこもったとネグリが表現するかつての知り合いたちの中でも、フェラーリ・ブラーヴォはとりわけ「いま」を共有できる貴重な盟友だったに違いない。
ハートとの共著『帝国』を刊行してから、ネグリはさらに忙しくなったようだ。イタリアでも今年は新刊が続いており、前述のフェラーリ・ブラーヴォ論に続いて、以下の2点が3月に刊行されている。
"Guide. Cinque lezioni su Impero e dintorni"
Antonio Negri, 2003, Cortina Raffaello, ISBN88-7078-823-7
http://www.raffaellocortina.it/
"Cinque lezioni di metodo su moltitudine e impero"
Antonio Negri, 2003, Rubbettino, ISBN88-498-0563-2
http://www.rubettino.it/
いずれも「五つの講釈」とあるが、これらは『帝国』のエッセンスを再説したものである。後者がその講釈部分のみを収録しているのに対し、前者ではその講釈の合間に、ネグリとハート、またはネグリとダニロ・ゾロの対談や、イタリア、ブラジル、フランスの各誌で発表した論文を挟んでいる。講釈部分で、前者ではイタリックになっている箇所が後者ではなっていないといった異同があるが、内容は同じものである。非物質的労働、生政治、構成的権力、マルチチュードといったキータームが再度取り上げられると同時に、『帝国』を既存の政治学、歴史学、哲学、社会学との対比において、議論を敷衍したり補説したりしている。
くだんの『帝国』について言えば、以文社の邦訳書はすでに刷部数が一万数千部に達している。少ないか多いかと言えば、現代思想系の理論書としては「多い」と言える。海外でも売れているようで、ネグリとハートは『帝国』の原著続編を準備しはじめているとも仄聞するし、その日本語版権を某社が破格の高額で押さえただとかの噂を聞くがこれも定かではない。はっきりしているところでは、ネグリの好著『マルクスを超えるマルクス』がいよいよこの夏に作品社から刊行される。
また、『帝国』のキーワードになっている「マルチチュード」について詳述したパオロ・ヴィルノの『マルチチュードの文法』が月曜社から近刊予定だ。ヴィルノの単行本は本邦初訳で、その「日本語版への序」では、ネグリやアガンベンといったイタリア現代思想の星座におけるヴィルノ自身の批判的立場が表明されることになるだろう。なお彼のイタリアでの最新著『社会科学と「人間本性」』の書誌情報は以下の通り。
"Scienze sociali e "natura umana": Facolta di
linguaggio, invariante
biologico, rapporti di produzione"
Paolo Virno, 2003, Rubbettino, ISBN: 88-498-0506-3
http://www.rubettino.it/
『マルチチュードの文法』と同様、これは講義録であり、参考文献を含めて90頁ほどの小著だ。ひょっとすると、ボラーティ・ボーリンギエリから近刊予告されている以下の書目と内容的にだぶっているのかもしれない(先述のネグリの2冊のように)*1。同社のクールなウェブサイトの新刊近刊一覧「Novita」のページには書影や紹介文がすでにアップされている。
"Quando il verbo si fa carne: Linguaggio e natura umana"
Paolo Virno, 2003, Bollati Boringhieri
http://www.bollatiboringhieri.it/
ネグリと並び、イタリア現代思想を語る上ではずせないジョルジョ・アガンベンはといえば、待望の新著『例外状態』をボラーティ・ボーリンギエリからまもなく刊行する。ヴィルノの近刊同様、同社のウェブサイトの新刊近刊一覧で書影や紹介文をご覧いただける。また、フランスではアガンベンの旧論考とヴァレリア・ピアッツァの新論考をカップリングした『愛の影――ハイデガーにおける愛の概念』が、リヴァージュから出版された。ピアッツァ女史というのは、名前から察するに一昨年のアガンベン来日の折に同行した歳若い女性と同一人物ではないかと思う。ちなみにアガンベンは今夏には二度目の来日を果たし、立命館大学で集中講義を行う予定だという。この件の詳しい情報は、立岩真也氏による以下のウェブページでアップデートされていくだろう。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/agamben.htm
"Stato di eccezione"
Giorgio Agamben, 2003, Bollati Boringhieri
http://www.bollatiboringhieri.it/
"L'ombre de l'amour: Le concept de l'amour chez Heidegger"
Giorgio Agamben et Valeria Piazza
traduction par Charles Alunni et Joel Gayraud
2003, Rivages, ISBN2-7436-1133-2
アガンベンの邦訳近刊は、『バートルビー』が月曜社から高桑和巳氏の邦訳で刊行される。これはハーマン・メルヴィルの短編「代書人バートルビー」の新訳と、それを論じたアガンベンの「バートルビー、偶然性について」をカップリングしたものだ。「代書人バートルビー」はご存知の通り、ドゥルーズなど現代思想においてたびたび言及され論評される問題作で、ボルヘス編纂の「バベルの図書館」シリーズの一冊として取り上げられたこともある奇書である。労働を拒否してクビにされた会社になおも寝泊りしながら、死に至るまで引きこもり続けた主人公バートルビー。これをアガンベンは可能世界論にひきつけながら論じていく。
なお、月曜社から出版された彼の『アウシュヴィッツの残りのもの』はここしばらく品切だったが、重版がようやく今月末に出来上がる。この重版には、アレクサンダー・ガルシア・デュットマンによる『アウシュヴィッツの残りのもの』の読解が2編収録された特別パンフレット「月曜社通信」が挟み込まれる。パンフレットは単体で、リブロ池袋店、ジュンク堂池袋店、三省堂書店神田本店、八重洲ブックセンター本店、東大生協駒場書籍部などの人文書売場にも置かれるだろう。森山大道の写真を使用した白黒の渋い表紙が目印。もちろん無料配布だが、かなり部数が少ないので、地方の読者やどうしても手に入れておきたい読者は、月曜社までお問い合わせいただきたい。
http://biblia.infoseek.ne.jp/getsuyosha
また、アガンベンの主著『ホモ・サケル』は以文社から、上村忠男氏の監訳で刊行されることになっている。ほかにも他社で邦訳予定はあるが、刊行はまだ先になるだろう。イタリア現代思想関連ということで付言しておくと、月曜社ではマッシモ・カッチャーリの主著『アーキペラゴ:多島海としてのヨーロッパ』が今年の刊行予定に入っている。
さて最後に、来月末から始まるはずの、フランス現代思想の邦訳書の注目新刊についてざっとリポートしておこう。まず何よりのニュースは、ドゥルーズの死後6年強経った昨年に刊行されたばかりの論文集『無人島、およびその他のテクスト集――テクストと対談1953-1974』が、河出書房新社から2巻本で刊行されるということだ。これまでの主著群に比べ、かなりのスピード出版である。まずは、1970年から1974年のテクスト、つまり原著では21番目からラスト39番目までのものが収録されるようである。予価2800円。廉価である。
続いてジャン=リュック・ナンシー。「不安」「生成」「自由」など11のキーワードからヘーゲル哲学を素描する濃密な論考『ヘーゲル――否定的なものの不安』が現代企画室から先月刊行されたばかりである。これはもともと、ナンシー自身の原稿の段階では2倍ほどの分量だったという。アシェットから刊行されている原著をお持ちの方はすでにお気づきだろうが、分量を削った理由は、この本がブノワ・シャントル編集の"Coup
double"選書の一冊であるという制約にあるだろう。ちなみにこのシリーズでは、アラン・バディウの『ドゥルーズ』(河出書房新社)、同じくバディウの『ベケット』、さらにジャック・ランシエールの『マラルメ』、マルク・リシールの『メルヴィル』、ジャン=ミシェル・パルミエの『エルンスト・ユンガー』など、興味深い書目がエントリーされている。
話を戻すと、ナンシー卓抜な絵画論『訪問――イメージと記憶をめぐって』が、西山達也氏の訳で松籟社から刊行される。46判160頁、本体予価2600円。私の知人でもある担当編集者T氏の解説によれば、本書は「2つの絵画に捧げられた2つの論考である」。解説を続けて最後まで引用すると、「ひとつは、ポントルモの作品《聖母訪問》であり、もうひとつは、ピカソの《オルガの肖像》である。ポントルモの《聖母訪問》を私たちが訪れるとき、そしてそれが私たちを訪れるとき、この二重の敷居において現出するのは、原光景よりさらに古い光景、記憶にないほど古い記憶の表象の光景である。あるいはそれは、いかなる神学的な価値付与にも馴染まず、存在論=神学の〈歴史〉を一瞬のうちに途絶させる光景、言うなれば全般化した殲滅(ショアー)の記憶を担う、不可能な光景のことなのかもしれない」と。なるほど、楽しみだ。
松籟社のT氏は同時期に、デリダ『火ここになき灰』を出版する。訳者は梅木達郎氏。原著をお持ちの方はご存知だろうが、この詩集のような本をレイアウトするのに苦労したそうだ。A5変形判160頁、本体予価2600円。こちらもT氏の解説(わざわざ小誌のために用意してくださったのだ)を以下に全文引用する。
「そこに灰がある」。このたった一つの文からなる一冊の書物、それが本書である。『弔鐘』と『郵便葉書』にあった「灰」「燃やすこと」「ホロコースト」を語った文が引用されながら、「そこに灰がある」という一文が、男なのか女なのか、デリダなのか他者なのか、定かではない、複数の声によって展開されていく。「灰」の経験とは、たんなる忘却ではなく忘却の忘却であり、喪失の喪失、残余なき残余、証人の不在の証人であり、それゆえ最悪のものであるとともに、チャンスでもある――これが、灰において賭けられていることなのである。
ジャック・デリダといえば、昨年末から年頭にかけて、来日を睨んで邦訳ラッシュがあって、それについては以前に言及したことがあるので繰り返さないが、藤原書店の目録「ブックガイド2003」に掲載された続刊案内によれば、増田一夫氏の訳で『マルクスの亡霊』が記載されている。切に早期実現を願いたいところだ。なお、この「ブックガイド2003」には、ブローデル著作集全3巻や、ブルデュー・ライブラリーの続刊予定も掲載されているので、書店店頭などで入手されると良いだろう。
終わりにフィリップ・ラクー=ラバルト。前述の藤原書店目録によれば、先に挙げたナンシーの新刊の訳者である西山達也氏は、藤原書店から刊行されるラクー=ラバルトの『ハイデガー、詩の政治』の共訳者として、浅利誠氏とともに名を連ねている。東京大学大学院総合文化研究科フランス語系学生論文集である『レゾナンス』2002年創刊号に掲載された略歴にある通り、氏は2001年からストラスブール大学に留学しており、ナンシーやラクー=ラバルトの薫陶を受けている。ちなみにこの『レゾナンス』は、掲載論文の内容もさることながら、かの鈴木一誌氏が組版等のデザインに協力しており、非常に立派な出来である。非売品のようなので、閲覧できる読者は限られているかもしれないが、特筆しておきたい。
ラクー=ラバルトの邦訳近刊書は、未来社のPR誌「未来」5月号によれば、「ポイエーシス叢書」の1冊として刊行予定の『メタフラシス――ヘルダーリンの演劇』である。高橋透氏と吉田はるみ氏の共訳。46判140頁で予価は1800円。
取り上げたい情報がたくさんで羅列的になってしまった。これでもなお書ききれないトピックがあるが諦める。先立った編集者の方々のお顔を思い浮かべるようとすると、「やれやれ、君はいったい何がしたいんだい」と困惑した眼差しが向けられている気がする。「下界ではまだまだ編集者や研究者の面々が頑張って自分たちの仕事を続けていますよ」と私は答えてみたが、その仕事の意義は今やすべて私たち自身が噛みしめるしかない。[2003年5月25日]
*1:ヴィルノの新刊二点を現物で照合確認したところ、まったく別の本であることがわかった。[2003年6月追記]
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初出:「[本]のメルマガ」第142号(2003年5月25日配信)
オマケ……第142号のトピックス記事より抜粋……あの「夜想」が帰ってくる!
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■トピックス
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■ペヨトル工房の雑誌「夜想」が復活する!
雑誌『夜想』がなんと近々再創刊する。このニュースは解散したペヨトル工房の今野裕一代表が発行しているメールマガジン「Flash
Memory」の、5月17日に配信された第7号で公表された。すべて直販扱いで、創刊号は限定三千部、ゴシック特集とのこと。「復刊記念に金子國義さんのトレーディングカードをこれまた限定千部で発行する予定」だそうだ。今野代表は再創刊にあたって次のように述懐している。
『夜想』復刊といっても会社組織、編集部組織をもって復刊することは不可能だ。あくまでも個人の作業としてやることになる。個のネットワークの集積でどうにかやっていくことに賭けるほかない。直売とインターネット販売が流通のすべてだ。戦略はない。この時代戦略を組んで成功するならこんなに雑誌が消えていくことはないだろう【これは『MRハイファッション』(文化出版局)や『幻想文学』(幻想文学界出版局)の休刊を受けての発言である[「[本]のメルマガ」編集同人注]】。ペヨトル解散の時にたくさんの人がペヨトルの本を救ってくれた。復刊する『夜想』も多くの人の助けが欲しい。
さらに今野代表は「ヘルプは、直の店舗を紹介してくれることでも、どこかの紙面で宣伝してくれることでも、お店の片隅で売っていただけることでも構わない。個の集積から再び雑誌を組み上げていきたい。それで可能なのかどうか分からないが、やってみようと思っている」と続ける。なお、今回再創刊される『夜想』は、ミルキィ・イソベ氏らの「ステュディオ・パラボリカ」の発行する『夜想2−:+(トゥ・マイナス)』とは別のものであり、旧『夜想』とも異なる新しい雑誌になる。転位しつつ異系を増殖させる『夜想』に注目だ。
http://www.tctv.ne.jp/sparabo/peyotl.html
■ノーベル賞経済学者アマルティア・セン来日講演会が立命館大学にて
2003年6月2日(月)、立命館大学大学院・先端総合学術研究科開設記念行事の一環として、立命館大学京都(衣笠)キャンパスにおいて、ケンブリッジ大学トリニティカレッジ学長のアマルティア・セン教授を迎えて、シンポジウム「21世紀の公共性に向けて――セン理論の理論的・実践的展開」が開かれる。セン教授の基調講演「民主主義と社会的正義――公共性の再検討――」"Democracy
and Social Justice: Publicness Reexamined"をはじめ、シンポジウムに参加するための事前申し込みは不要、来聴歓迎とのこと。しかも、同時通訳あり。行くしかない!
立命館大学大学院先端総合学術研究科開設記念国際シンポジウム
21世紀の公共性に向けて――セン理論の理論的・実践的展開――
日時:2003年6月2日(月)13:00〜18:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 以学館2号ホール(京都市北区等持院北町56-1)
主催:立命館大学大学院先端総合学術研究科
後援:日本学術振興会
お問合わせ先:立命館大学大学院部・独立研究科事務室
TEL.075-465-8375 FAX.075-465-8364
■ジュンク堂池袋店でフランス語書籍が販売開始
神戸を本拠地とする大型書店チェーン「ジュンク堂」の池袋本店(東京都豊島区)では、9階芸術書洋書フロアでの「フランス語書籍」の販売を開始した。ジュンク堂パリ支店での話題書や好評書、フランスの最新話題の書籍も常備するとのこと。その規模400種類、約600点。語学書、旅行書、芸術書、児童書、コミック、フランス料理など取り揃える。4F人文書ではすでに英米語の学術書を多数取り揃え「日本一の棚」の呼び声が高いが、このフロアでの人文社会系フランス語図書の扱いも準備されつつあるそうだ。期待大である。
在庫確認やその他のお問い合わせ:ジュンク堂書店池袋本店電話03-5956-6111
ジュンク堂書店 http://www.junkudo.co.jp/
パリ・ジュンク堂書店 http://www.junku.fr/
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